Derya Sazakコラム:大統領選出に必要な367票の危機
2007年04月28日付 Milliyet 紙

 大統領選出にあたっての第一ラウンドは「367票の危機」と共に始まった。晴れたアンカラの環境。トルコ大国民議会の15時の開会前に裏手でフィクレト・ビラと共に私達はいた。
 ある人はやって来て、ある人は通りすぎる…記憶は1980年の春に連れていく:(第6代大統領)コルテュルクの後、空席となる大統領を選ぶための堂々巡りが始まった日々に…六ヶ月続いた無駄な堂々巡り!トルコは一歩一歩クーデターに引きずり込まれている時、人々は(当時の国民的女性シンガー)アジダ・ペッカンにうつつを抜かしていた。
 (1980年)9月12日にはこのようにしてやって来た。そして議会は「大統領を選べない国会」として歴史に残った!
 1982年憲法は、このような内側から鍵をかけられた状況を乗り越えるため、大統領選出を容易な、そして難解なものにした。第102条における「3分の2」の(得票)条件、第3回目の投票では「過半数」(獲得が条件)として定められた。4度目には国会が解散させられることになった。
 1989年にはオザルが、1993年にはデミレルが、2000年にはセゼルが1982年憲法に従って選出された。
 トゥルグト・オザルの選出においては当時の社会民主人民主義党(SHP)の一群が投票に参加しなかった。しかし、憲法裁判所には訴えられなかった。デミレルとセゼルの時はそもそも投票(ボイコット)の問題が生じなかったため、367票の議論もなかった。
 2007年は、投票に入る前から367票の危機が生じた。
 共和人民党(CHP)は問題を憲法裁判所に提訴した。もし裁判所が憲法第102条を「投票の時点で全ての票の3分の2にあたる367票が必要である」と解釈して判断を下したならば、以降の投票では「3分の2の大多数の出席」がなければ、選出をすることが出来ないだろう。
 公正発展党(AKP)が367票を獲得出来なければ、議会は20日後に解散させられて選挙に突入するだろう。
 政府首脳は舞台裏では昨日暗い顔をしていた。祖国党(ANAP)の党首エルカン・ムンジュは、国会に参加しないことを表明して議員グループと共に党総本部にとどまったため、公正発展党における「発射」の期待が実現しなかった。4名の正道党グループは分裂した!
 首相エルドアンとAKPの大統領候補ギュルは国会に共に入った。
 タイイプ(・エルドアン)氏は困惑していた。(1997年)2月28日過程においてエルバカンの参謀であった以前の福祉党の議員と私達は遭遇した。彼らはANAPの票で367票が保障され、3度目の投票でアブドゥッラー・ギュルが大統領に選ばれると主張していた。しかし景色は全く違うものだ。国会議長のビュレント・アルンチはエルドアン‐ギュルに「あなた方でなければ私が候補者だ」と圧力をかけて、AKPを367票の危機におしやった。ギュルは357票にとどまった。
 CHPの党首バイカルはテレビでアルンチを見て、「和解を模索していればこのような状況には陥らなかったのに。今、皆は選挙の時期に来たのだ」と述べた。
 皆の視線は憲法裁判所に注がれている。
 AKPの執行部は「法のクーデター」を心配している、しかし彼らも選挙を司法の判断に任せるようなことをして、事態がこうなることを招いたのだ。
 危機から脱する最も民主的な道は新大統領を新議会が選ぶことだ。

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( 翻訳者:関口 陽子 )
( 記事ID:10760 )