Fikret Bila コラム:「左派連合」に対するバイカル共和人民党首の考え
2007年05月19日付 Milliyet 紙

共和人民党(CHP)のデニズ・バイカル党首は、CHP-民主左派党(DSP)の選挙協力の決定は非常に有意義なものであると述べた。朝の散歩の最中に彼が道で出会った誰もが例外なくこの決定を拍手をもって迎え、祝福したという。CNNチュルクで昨日ムラト・イェトキンと私がゲストに招いたバイカルは、CHPとDSPの間で過去に起きた分裂の生み出した険悪な雰囲気は、(今回の選挙)協力の決定によってたちどころに消えたという考えだ。

■協力を超えた「共同行動」見越す

バイカルはDSPとの選挙協力を、単なる連合以上のものとみなしていると言うことができる。バイカルCHP党首は、この連合を選挙後にも続く「共同行動」として見ている。彼の考えは、早急にゼキ・セゼル(DSP党首)ならびにDSPとともに共同プログラムを実現させることである。
バイカルは、DSPの党組織内での作業が完了するやいなやすぐに行動に移る考えである。バイカルCHP党首が何をするつもりなのか説明を聞いて分かったことだが、(バイカルは)選挙キャンペーンを含め、全ての活動を(DSPと)一緒にやろうと考えている。例えば、まずゼキ・セゼル党首を訪問し、次いでラフシャン・エジェヴィト(ビュレント・エジェヴィト元CHP・DSP党首夫人)のもとを2人で訪れ感謝の意を示すことを計画している。そのすぐ後にはメルスィンで開かれる予定の(CHPの)集会にゼキ・セゼルDSP党首を招く意向である。バイカルはこうした行動を選挙キャンペーン全般にわたって続けたいと考えているようだ。
選挙キャンペーン全般でデニズ・バイカルとゼキ・セゼルが国民の前にしばしばともだって登場するだろうと言うことができる。

■1つの会派のように行動

バイカルの考えは、連合を選挙後も続けることである。トルコ大国民議会(TBMM)で1つの会派のように行動し、共同行動をとることである。政権をとるチャンスが生まれれば、共に政府を築くことである。
バイカルは、CHPとDSPが共有する最も重要な価値の筆頭はビュレント・エジェヴィトであると言っている。彼を2つの政党を覆う1つの傘、あるいは上部アイデンティティとみなしている。

さて、CHP-DSP連合は広がりを見せるであろうか?
昨日朝、私を含めた新聞記者たちは、ムラト・カラヤルチュン社会民主主義人民党(SHP※1)党首の家に朝食に呼ばれていた。カラヤルチュンはCHP-DSP連合に満足していると語った。ただし、SHPがこの連合に含まれる必要があるという考えを示唆した。SHPが議席を得られなくともこの連合に参加することが正しいと主張した。カラヤルチュンは「連合は左派と共和国主義者によるものでなければならない」と言い、この性質をSHPも有していると述べた。

■SHPとフラート(ユーフラテス川)の東

SHPがこの連合に参加しなくては左派の姿としては不十分だと述べるカラヤルチュンは、次の見解を示した:
「左派と共和国主義者の連合はフラートの東(=南東アナトリア)に行くことができなければならない。フラートの東で国家の一体性(保持)のための旗振り役とならなければならない。そこで集会を開くことはできないだろうが、選挙システムのゆがみを利用して国会議員の議席を期待できるだろう。南東アナトリアではCHPとSHPは基盤を持たないが、SHPにはある。これを障害の要素としてではなく、支援要素としてみなす必要がある」。
CHPのバイカル党首はといえば、カラヤルチュンのこの見方に関する我々の質問に答える一方で、SHPが2004年に民主社会党(DTP)と行った選挙協力を暗に指してこれを誤りとし、この誤りについてまず世間に説明しなければならないと述べた。

(左派)連合の提案を大きく受け止めているもうひとつの政党が青年党(GP※2)である。CHP-DSP連合から提案があればこれに前向きに応じるかもしれない。ただ、問題なのは左派連合において青年党に対する大きな懸念があることである。
こうした条件の下で、CHP-DSP連合は拡大するのか?という問いに答えを出すことはいまだ時期尚早である...


注:
(※1)社会民主主義人民党(Sosyaldemokrat Halk Partisi, SHP):2002年5月にムラト・カラヤルチュン元副首相・外相により結成された左派政党。既存の左派政党(CHP、DSP)から自党に不満を抱く政治家が集まった。党組織を十分に整えることができなかったため2002年11月3日の総選挙には不参加、翌2004年3月28日の地方選挙にはクルド系のDEHAP(民主人民党)など左派の小規模政党と連帯したものの5パーセントの得票に留まった。参考:ウィキペディアトルコ語版
(※2)青年党(Genç Parti, GP):2002年7月、実業家ジェム・ウザンなどが結成した右派政党。2002年11月3日の総選挙で7.5パーセントの得票を獲得。参考:ウィキペディアトルコ語版

2002年総選挙時の政治動向については、間寧(2003)「トルコ2002年総選挙と親イスラム政権の行方」『現代の中東』, No35, 69-79 に詳しい。

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:10924 )