Hakki Devrim コラム:「誰に投票すればいいかな?おじいちゃん」―有権者一年生の孫娘との約束
2007年05月20日付 Radikal 紙

好きで、新刊が出ればすぐさま手に入れるような作家が全ての年代にいる、とか。舞台やスクリーンで観たくて仕方がなくなるような俳優がいる、とか。毎朝、そのコラムを読まずにいられないようなコラムニストがいる、とか。観るのに嫌気がさして、もうこれっきりにしたいスポーツ選手がいる、とか。その行動を追いかけずにいられない歌手がいる、とか。
私の孫のなかでいちばん末にあたるエリフの問いが、今回は、上に述べたような事柄についてではなかった。こんな問いに応じることになると予想できていなかったことに、実を言えば、尋ねられてみて私は気付いた。
「おじいちゃん、誰に投票すればいいかな、ってなんだか気になって、行っておじいちゃんと話してみよう、って思ったの。」
「お前、もうそんな年になったのかい?」
「20歳になるわ。」
「そりゃぁ、めでたい。お前にとっての初めての投票が今回の選挙だなぁ。人物をよくよく考えて、まっとうな選択をしなさいな。」
私にとって予想外の質問だったので、少々うろたえた。私は、自分の頭の整理をするヒマを取ろうと務めた。私はこの娘にどう言おうか。
最も良いのは、反撃に転じることだ。
「今回の選挙に臨む政党がいくつあるか、知ってるかい?」
「7つ」と(彼女は)まず言って、そして諦めた。「正確な数をと言われたら、全部は分からないわ。」
私は考えてみたが、正確な数を問われれば、私も分かっていない。孫と一緒に数えてみようとした。公正発展党があって、1つ。正道党+祖国党で、足して2つ。週末に共和人民党と民主左派党の選挙連合が発表されて、これで4つ。民族主義者行動党があって、民主市民党があって・・・至福党。全部で7党ということになるのか?
実際にはその他の党もあるが、選挙に勝利する、つまり、最低でもひとりふたりの国会議員が生まれる可能性がある政党は、やっぱり私たちが数えてみた7つだ。
孫のエリフは、7つという数を言い当てたことで満足した。正直なところ、私は少し恥ずかしかった。選挙にどれだけの政党が参加するのかと聞かれたら、より完璧に、そして事細かに答えられなければならななかった、と内心では思った。
読者の皆さんに説明しようとしてもこれが精一杯でしょう。こうして私たちが数えてみた以外に政党名を言えるような状況では(そもそも)ありません。記憶違いでなければ、トルコには50以上の政党があるのですし。



選挙に臨む政党がいくつあるか、と私は尋ねたのだった。後には、エリフのそもそもの問いが残った。
「おじいちゃん、誰に投票すればいいかな?」
私は、毎日、20紙余りの新聞に注意深く目を通すトルコ共和国国民のひとり。この重労働には週末休暇や年次休暇の許可(が下りること)なぞないのですがね・・・。もちろん、ニュースや論説全てに目を通すことはありえなくても、読むための時間は毎日4、5時間は下りません。
かつて、選挙権をもつ年齢は22歳で、私が間違っていなければ、私は自らにとっての初めての選挙権を、民主党が選挙に圧倒的な差をつけて再度勝利した、1954年の総選挙で行使した。当時、私は25歳既婚の青年ジャーナリストで、その頃にこの世に生を受けたのは女の子だった。
私が育ったのは、政治に多大な関心を抱くような家庭でではなかった。
私の幼少時代には、父は(国家公務員であり)共和人民党員である必要があった。党機関誌『理想』の、望むと望まざるとに関わらない、強制的な定期購読者の一人だった。長年、本棚には『理想』各巻が鎮座していた。気になって一冊でも読んでみたという記憶が私にはない。
事件と不正に満ちた1946年の総選挙のあと、民主党が圧倒的な勝利を収めた1950年の総選挙では、公務員はもはや自由になった。彼らが望む通りに投票したのである。1954年には有権者を影響下に置くような圧力や遠慮はすっかりなくなっていた。
孫のエリフがある質問をして、その質問がもとで、私は、自分自身に、自らの記憶に、政治との関わり方や態度に、恥ずかしさをおぼえた。信じられますか、1954年の総選挙で自分がどの党に投票したのか覚えていないのです。コラムを書き始めるにあたっては、私は、自身の初選挙体験から半世紀が経った、なんて書くつもりでいたのです。けれど、自分の無関心さに恥ずかしくなり、その体験を誇るなんてことは諦めました。



長年、その顛末を様々な驚きを持って眺めていたということ以外、政治に私は関心がなかった。政界や政党の特派員はしなかった。一度、テペバシュにある共和人民党イスタンブル県本部に、かつての元県連本部会長のひとりアイドゥン・カザンジュと立ち寄ったことがあった。(当時の)会長はネジュデト・ウウルだった。
「ここにもちょくちょく足を運んでくださいな、ハック君も」とその日のネジュデト・ベイはおっしゃった。しかし、私が、「よし立ち寄ってもいいのか」といった具合に党へと足が向くような興味を抱くことはなかった。
そんなことを考えながら、孫のエリフと話しつづけていた。
「お前には、公正発展党だとか、共和人民党だとか、そのほかの政党だとかいったお気に入りはあるのかい?」
「そんな訳ないでしょお!どうしちゃったの、おじいちゃん?」
ごもっとも。彼女は、高校を卒業して、自分のやりたい分野で成長するために大学入試の準備をしているところだ。政治の話をしているときに、彼女の姿を見たという記憶も私にはない。実際、私の色々な問いかけにも、
「ゴメン(勘弁してよ)、おじいちゃん」と言うばかりだった。
それでも、私たちはあることを決めた。今後は、それぞれの政党や選挙に共に臨む人々の評価や、公約や、批判や、発言を、まるで初耳ででもあるかのように、注意深く、かつ、比較しながら追っていくつもりだ。候補者リストを十分に調べ上げることになるはずだ。そして、時々、祖父と孫が顔をつき合わせて、状況を論評してみるつもりである。
そして、彼らの思想や提案と同じくらい、議会入りを求める個々人を人物としてよくよく評価するつもりだ。イスラーム主義者だとか、世俗主義者だとか、民族主義者だとか、そういった点に関心を向けるのではなくて、むしろ、それ以上に、この国の現実や、(この国に)必要なことや、(そのための)解決方法について候補者たちが語る内容について目を凝らしていくことにする。たとえば、あまりに口が過ぎたり、罵り合いの専門家だったり、頑迷だったりする方々を私たちは信用することができないだろう。
「観察小屋には投票日まで鍵をかけないでおこう」と私は言った。
「それって、どういう意味?おじいちゃん」
「つまり、候補者についてどう考えるか、誰に投票するかは、最終日なって決めるまで、待ってみよう、ってことさ」と私は応じた。
「オッケー、分かったわ」と孫は言った。
私たちの準備は整った。どうぞ、もう始まってくださいな、期待して待っておりますので。

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:10930 )