Mahfi Egilmez コラム:トルコにおける中道右派と中道左派
2007年05月20日付 Radikal 紙

右派と左派の極端な立場を脇に置いておくとすれば、中道左派には社会民主主義が、中道右派には自由民主主義がある。トルコに限って見れば、中道左派の位置には共和人民党(CHP)と民主左派党(DSP)が、中道右派の位置には正道党(DYP)と祖国党(ANAP)があるのが分かる。ヨーロッパでは右派から(政治的)中道への近さ(距離)は民族主義や伝統に依拠した保守主義によって測られるのに対し、トルコでは主に世俗主義への態度によって測られる。左派から中道への距離は、ヨーロッパでもトルコででも、主に経済観のグローバル性によって測られる。

ヨーロッパで近年、この2つの立場を互いに接近させるアプローチが盛んに採られた。例えばイギリスの労働党は、社会民主主義の政治的態度を自由民主主義の市場経済やグローバル化、民営化や外資による投資を重視する経済政策で支えながら「新しい左派」の姿の最も重要な体現者となった。そしてこうした統合は、イギリス労働党に政権への道を開くに留まらず、3期にわたって政権に留まらせた。同様のアプローチを採って政策の統合をもたらし、政権に就いた右派政党もある。

各地の広場で自分たちに大きな進歩をもたらした共和国に10周年マーチで敬意を表する女性たちの姿を見たときに私が感じた高揚感は、壇上でEUや西洋、民営化や外資に反対する人々の言葉を耳にしたとき消えてなくなってしまった。そしていまだに(イギリスで起こったような)統合から我が国はなんと遠い位置にいるのか、と思った。しかし実際は、イギリス労働党が成功を収めた統合を我が国でも誰かがやれば、“態度未定”に位置づけられている有権者からも票を得て政権を取る大きな可能性を手に入れられると思うのだが。

どの選挙の前になっても、私はこのような考えのまとまらない状態に陥る。おそらくそれは自分の政治的態度は社会民主主義で、経済的態度は自由主義であると認識しているためだ。自由主義者の保守主義や社会民主主義者の国家重視の経済政策を私は好まない。我々はさまざまなルートをたどって今日の状態にたどり着いたので、西洋の人々と我々が中道左派と思っているものは少し異なる。彼らはほぼ間違いなく、中道左派というと経済的な意味でより国家主義のアプローチだと理解するだろう。彼らにはもはや世俗主義に関する問題がないために、こう考えるのは至極当然だ。しかし実際は、我々が中道左派と言う場合には、経済的態度以前に政治的態度、例えばすぐに世俗主義のことを頭に浮かべる。

このため、西洋人の言う中道左派と我々の言う中道左派は同じものではない。中道右派といわれる場合、西洋人はほぼ経済的にリベラルで、政治的により保守的な態度を想起するだろう。我々もほとんど同じものを思い浮かべる。我々においてはもしかしたら世俗主義の問題が少し絡んでくるかもしれない。私が(上で)話した統合はといえば、社会民主主義者の政治的含意、すなわち世俗主義や進歩主義と、中道右派の市場経済や民営化、EUや外資、すなわちグローバル化に依拠した経済政策が1つにまとまることである。

中道左派がもし世俗主義に基づく政治的態度を経済の改善に資する自由主義的アプローチによって支えることができれば、あるいは中道右派がすでに大方の人が受け容れた経済制度を、世俗主義のような放棄できない政治姿勢によって支持することができれば、政権は統合を果たしたことになると思う。この統合は、ANAPとDYPの合同あるいはCHPとDSPの連合から生じるようには見えない。なぜならこの統合を果たすことは、今いるメンバーでは容易でないからだ。同じことは疑いなくイギリス労働党にも当てはまった。昔のリーダーたちが転向をして統合を果たすことや、これを人々に信用させることは困難だった。イギリス労働党は、新しいメンバーのイニシアチブにおいて、そうした統合を実現させる新しい左派のアプローチにより政権に上り詰めた。古いメンバーで新しい左派や新しい右派の統合を生み出すことは非常に難しい。このように見ても、合同や連合にもかかわらず今回の選挙により従来の様相が根底から覆されるようにはあまり見えない。

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:10933 )