自爆犯の人物像 -アンカラ爆発事件の犯人が判明
2007年05月24日付 Milliyet 紙

ギュヴェン・アクシュは、暴動にまで発展した1996年5月1日のカデュキョイでのデモに、トルコ革命家共産主義同盟(TIKB)の一員として参加し、「組織の一員であること」「警察への抵抗」「ビラを張ったこと」という罪で2年間投獄されていた。

アンカラのアナファルタラル・ショッピングセンターの前で起こった自爆事件で死んだギュベン・アクシュ(28)は暴動にまで発展した1996年5月1日のカデュキョイでのデモに、トルコ革命家共産主義同盟の一員として参加し、「組織の一員であること」「警察への抵抗」「ビラを張ったこと」という罪で2年間刑務所に入所していたことが明らかになった。

■兄弟も逮捕
アクシュが1998年刑務所から出所した後、一時、国外にいた事が分かった。名を公表していないアクシュの兄と姉が事件後拘束され、イスタンブル警察で自供させられた。アクシュはキュチュクチェクメジェ・メフメト・アーキフ・地区のタフシン・バングオール小学校で教育を受け、14年前ファーティフ・ヴァタン高校に在籍していたこと、一年のとき短期間通学しただけであったことが分かった。
その後しばらくして学校を辞めた。高校在籍中の住所として、同じくキュチュクチェクメジの学校に近いアルパエミン地区ビジャン・バアジオール・ヨクシュ9番地を登録しており、この住所には何年も前に人が住まなくなり、壊された建物があったことがわかった。

■シシュリで誕生
ギュヴェン・アクシュは、ヒュセイン・アクシュとシュクラン・アクシュの5番目の末っ子で、1979年5月26日シシュリにて生まれたことが明らかになった。アクシュにはユクセル(45)、アイセル(43)、ギュルセル(37)、ヴェイセル(36)という兄弟がおり、このうちヴェイセル・アクシュはイスタンブルで転落事故のため死亡したと伝えられた。

■父と兄は自殺
犯人の母シュクラン・アクシュは1991年に亡くなり、父と離婚経験有りの兄とともに、トルコ革命家共産主義同盟のメンバーであるため逮捕され、刑務所から出所したいとこも自殺していたことが明らかになった。
アクシュは、テロ組織のデモのような様相を呈した1996年5月1日のカデュキョイでのデモに参加し、私服警官メフメト・ファルク・アクソイ氏に暴行を加えた集団の一人であり、1996年7月サカリヤ刑務所に入所し、1998年10月に釈放されたことが分かった。さらにアクシュは1996年にビラを張ったことで前科があり、イスタンブル電車トンネル開発管理局のバスが燃やされた事件、さらに無許可でのデモといった罪で警察の前科者リストに記録されていたことが明らかになった。
1998年まで「非常に活動的」であったアクシュに関し、1998年以降警察記録に彼の活動報告がないことが注目されている。刑務所にいる間アクシュが何をしていたか調査が始まった。

■村では混乱
アクシュが住民登録していたスィヴァスのザラ郡のチャイプナル村では大混乱がおきている。大部分を高齢者が占める約30人17世帯の村で村長をしている、彼の伯父シュクリュ・アクシュは、自身の身元を隠すように努めながら、家族が約40年前にイスタンブルに引っ越したこと、村には彼の親族はもう住んでいないと述べた。
自爆犯の伯父の妻であるハヌム・アクシュは事件をテレビで知り、朝にもかかわらず憲兵がやってきて、義理の父であるヌリ・アクシュ氏と村長をしている義兄から情報を集めていったと発言した。
犯人の父ヒュセイン・アクシュとその妻シュクランが何年も前にイスタンブルに引っ越したこと、そこで死亡したことを説明したハヌム・アクシュは「子供達も村にはあまり来ませんでした」と述べた。

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( 翻訳者:三村麻衣 )
( 記事ID:10970 )