葬儀の際、モスクでのシュプレヒコールはダメ
2007年06月16日付 Radikal 紙

殉職者オズヤルチュンとクズルタシュの葬儀で、治安部隊は、モスクに家族、来賓とジャーナリスト以外は誰にも入場を許さなかった。ボズクルト(狼)の合図(*訳者注)を掲げたグループが葬列に加わることを望んだため、騒動になった。

レヴェント・モスクの棺を置く石の台に、1週間のうちに2度も殉職者の亡骸が置かれた。歩兵隊の古参のムラト・オズヤルチュン少佐と、治安部隊のジハン・クズルタシュ専門上等兵が、爆発した地雷と紛争による今回の犠牲者である。

殉職者のために、昨日(15日)レヴェントで葬儀と軍の儀式が行われた。葬儀でムラト・オズヤルチュン少佐の4歳の息子ウトゥク君がお母さんに、「お父さんはどうして来なかったの?」と聞き、人々の涙を誘った。

■殉職者の母は発作を起こした
トルコ国旗に包まれた殉職者らの遺体は、レヴェントにあるアフェト・ヨラル・モスクに運ばれた。殉職者のために行われた礼拝の際、保健所の職員と女性軍人が、気を失った殉職者クズルタシュの母を落ち着かせようと努めていた。葬儀の祈りの後、オヌル・クタスによって肩に担がれた殉職者の亡骸は砲車に置かれた。

砲車の後ろから、ムラト・オズヤルチュン少佐の妻セラプさんと、少佐の父ヌレッティンさん、母ハイリエさん、子供のオズゲさん、エズギさん、ウトゥクさん、そしてジハン・クズルタシュ専門上等兵の父オルハンさんと母ハッヴァさん、その他の家族の者たちが互いに腕を組んで葬列をなす一方、彼らの後ろに来賓者たちも続いた。葬送後、遺体はエディルネカプ殉職者墓地に埋葬された。

レジェプ・タイイプ・エルドアン首相は、殉職者の葬儀でのデモが挑発的な行動となっていると話していた。この発言の影響により、葬儀では広範な警備対策が取られた。葬儀が行われたモスクの庭園へは、来賓者たち、殉職者の近親者、ジャーナリスト以外の者たちは入れなかった。しかしながら、モスクの外で待機しボズクルトの合図をしたグループはPKKに抗議し、政府に対してもシュプレヒコールを挙げた。

亡骸が砲車に置かれた際にシュプレヒコールを挙げ、葬列に加わろうとしたグループに警察は許可を与えなかったので、少しの間、騒動になった。

葬儀では著名な人物の姿もあった。行政裁判所襲撃後に監察下に置かれ、ウムラニエで武器弾薬を隠匿していたオクタイ・ユルドゥルム元下士官と親しいことで話題になった、ムザッフェル・テキン元大尉、(作家や新聞記者の)思想に関して訴訟を起こしデモを行ったことで知られる、弁護士のケマル・ケリチシズの姿もモスクの外のグループ中にあった。

*ボズクルト(狼)の合図:右手の人差し指と小指を伸ばし、親指、中指、薬指は曲げた形。トルコ民族主義者達が、集会やデモ行進時などで常用している。 ボズクルトとは、多くのトルコの叙事詩に登場する神聖な動物で、勇気や勝利を意味し、トルコ国民の象徴と言われる。トルコ建国の父ケマル・アタテュルクもボズクルトにたとえられる。

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( 翻訳者:富田祐子 )
( 記事ID:11165 )