Orhan Bursaliコラム: 国民国家と資本主義
2007年06月17日付 Cumhuriyet 紙

ニュースを読んで笑ってしまった! とんでもない逆説だと思った!

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI) が出した最新の世界軍事報告書によると、2006年、世界の軍事費が1兆2040億米ドル(米国:5827億米ドル)に達した。6月12日付ジュムフリイェト紙がそう報じている。

もっと重要なことは、最近10年間でこの軍事費が37%増えたことだ。

2002年以降、最も多くの武器を購入したのは、世界で経済成長を続ける中国、インド両国である。

「各政府の社会福祉分野へより多くの財源を委譲し、軍事費が削減される」可能性は少ないという。

しかし、この17年間で「恐怖のバランス」が崩壊し、世界は世界大戦の危機から逃れ、安心しているという。一極化した世界が構築され、グローバリゼーションにより貿易や経済が重要視され、国々を「支配」し始めているという。

そうであるなら、グローバリゼーションがちょうど経済的な飛躍を遂げたこの最近10年間に、この軍事費増加はなぜなのか?!

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ファン・エンリケス氏は、「50年前に、現在の国旗、国境、国歌、通貨の4分の3はなかった」と、著書「未来に追われて」の中で断言する。つまり、今日、200を超える「国民国家」の4分の3が、この50年間に建国されたのだ。国連によると、現在、184カ国が存在する。しかしこの数は別の情報源をもとにすると203カ国まで増えるのだ。

1980年以降、つまりグローバリゼーションの中で我々が経験している新自由主義の波が始まって以降、さらには1990年のソ連崩壊以後、何十カ国もの新しい国が出現した。独立したいと順番を待っている国はもっと多くある。

「なくなる」ではなく、「増える」時代が続いているのだ。

資本主義は、第一次世界大戦及び第二次世界大戦と共に絶えず新しい国家を誕生させてきた。

第二次世界大戦後には、資本主義は古典的な植民地主義を完全に解体した。

ここでひとつ断言するならば、資本主義のグローバリゼーションと近代国家の増加は、正比例の関係にある。

(準知識人たちが我々のような国々をごまかそうとしているが、)グローバリゼーションは、国民国家の終焉をもたらしてはいない。

EUのような地域的協力体制、または国家間の連盟体制は、別の観点から議論する必要がある。EUもある視点に立てば、民族的・文化的保護主義によって「国民化」を奨励するという均整のとれていない政策をもっている。

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では、なぜこうなのだろうか?
その答えは、資本主義とグローバリゼーションがもつもともとの性質にある。

1)商業や経済成長をうながす最良の環境は、未だに国民国家の存在、しかも国家が増加していくことにある。グローバル資本主義は、新たな国民国家が出来上がるたびに、新たな拡大領域を、自らが呼吸し生き延びられる市場を獲得している。この事実をもとに出発すると、もっとも良い環境をグローバル資本主義に提供しているのは、国民国家の存在だといえる。地域的な経済協力体制は、「新たなタイプの上位国民国家モデル」として、グローバル資本主義にもっと大きな機会を創出している可能性がある。あるいは大きな機会をもたらすか否かが試されている実験台として見ることもできる。

2)この文脈で、巨大かつもっとも重要な産業である武器・軍事産業が、その存在を拡大させながら存在し続けるための最も良い環境も、国民国家なのだ。(EUのような経済・政治協力領域では軍事経費の増加率が他と比べて減るかもしれない。)

3)資本主義の存在意義とそれを継続する条件は、競争原理にある。競争が存在しない状況では、資本主義自体を議論することもできなくなるだろう。

4)競争は、国民国家の存在を必要としており、さらにその国民国家の経済発展レベルが異なっていることを条件としている(不均衡な発展)。この差異こそが、資本主義がひとつ上位のレベルで自己革新し、競争し続ける可能性を与えているのだ。

5)上述した全てのことから、ひとつのテーゼをたてることをお許し願いたい。
資本主義、そしてグローバル資本主義は、国民国家時代の生産あるいは支配の形式である。国民国家がなくなれば、資本主義にも終わりが訪れる可能性がある。あるいは、資本主義な古典的なかたちを捨て去り、別の形態(経済と生産の関係)への変革を余儀なくされるかもしれない。

世界を正しく理解することが必要だ。トルコと世界の関係を理解するためにも!

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( 翻訳者:イナン・オネル )
( 記事ID:11184 )