Turker Alkan コラム:ベーチェット
2007年07月13日付 Radikal 紙

「家は買うな、隣人は買え」とは戯れに言われたのではない。我々のこまった隣人であるギリシャ人のこのごろの物言いを読んで、先の格言が思い浮かんだ。いやいや、東アナトリアを「クルディスタン」だと明示している地図の話を言っているのではない。ただ、話は少なくとそれと同じくらい深刻な状況になっている訳で、(彼らは)人の病を我々の手から奪おうとしているらしい。

これが初めてというわけではない。以前にも、イチリキョフテやヨーグルト、ドネル(ケバブ)を、そしてハジュヴァットやカラギョズをも、彼らは我々から取り上げようとしたが、我々はあらん限りの抵抗をして、彼らに引渡しはしなかった。

しかし、我々の病気まで取り上げようとするとは思いもよらなかった。

問題は「ベーチェット病」に関わっている。この病気を初めて報告したのがフルースィー・ベーチェットという名のトルコ人医師であったため、1947年の国際医学会でこの病気は「ベーチェット(病)」と名づけられた。

しかし、ここのところ、ギリシャ人の医師たちが(きっと発作的な嫉妬心に駆られたからに違いないが)「この病気を初めて見つけたのは、ギリシャ人医師であり、彼の名を付け加えるべきだ」と主張しているという。

このことを目にして、私は正直悲しくなった。「つまり、我々には病名ひとつでさえ『過ぎたるもの』だということか」と考えこんでしまった。そもそも、ギリシャ人には、誇れるような哲学者も自然科学者も芸術家も作家も、沢山いるではないか、なのに、我々の病気やドルマ(訳注:ピーマン、ナス、ムール貝などにピラフ等を詰めた冷菜)やドネルをどうして物欲しそうにじろじろ見るのか、私にはわからない。欲の皮が突っ張っているからに違いない!

そして、双方で民族主義が、時として極端でばかげた方向へ行ってしまうことがあるかもしれない。そうなった場合に、病気ひとつのために両国の関係が損なわれてしまうのが、私には恐ろしい。両国の極端な民族主義者が集会を催し、デモ行進をし、スローガンを叫ぶことになってしまえば、(こう叫んでも)驚くなかれ。「ベーチェットは我々のもの、我々の元に留まるだろう!」

もちろん、ありえる話ではない。しかし熱狂が入り込んでしまうような場では、理性や良識は往々にして役に立たないものだ。

歴史にも、また今現在にも、そういった例はたくさんある。

ある知人からこんな話を聞いたとき、私は信じられなかった。ギリシャを訪れたあるトルコ人が、花屋で気に入った鉢植えの花を買おうとした。店員は「買わないほうがいいですよ、税関で問題になるかもしれませんし」と言ったが、買おうとした側は、「貴方は花を売ってくれればいいんです、何が問題になるって言うんですか?」といって手に入れた。(そのトルコ人は)税関にやってきた。ギリシャの税関職員が鉢を取り上げ、土を捨てて、空の鉢に花を戻す段になって、(もはや)どういうことかは明らかだった。職員曰く「ギリシャの土は一握りたりとも、国外へ持ち出すことはできませんよ!」

この話が作り話なのか事実なのかは分からない。けれども、人間の頭にはこれと似たようなことがいつだって浮かんでくるのかもしれない。

たかだか病名ひとつを国家レベルの問題にしてしまう心性をこそ恐れるべきだ。さらには、こんなことをするのが、どこにでもいるような誰かではなくて、お医者様方なのである!つまり、社会で最もよく学んだ方々なのだ!

この(種の)方々がトルコ人か、ギリシャ人か、中国人か、ドイツ人か、アメリカ人かなんてことはちっとも重要ではない。きっと、国も、民族も、人種も、宗教も、政治の見方も、千差万別だろう。彼らの共通点は頑迷であることだ。高学歴であろうし、極めて高い地位にいらっしゃることだろう。そして、ものをよく読み、また筆の立つ方々だろう。しかし、彼らは、拭い去りようのない根深い反感から解き放たれることはない。

頑迷は現代の最も恐ろしい病なのである。

私は、ベーチェット病はギリシャ人の友人たちにあげてしまえばいいと思う。

我々からの手土産ですよ、楽しく使ってくださいな。

世界に病と頑迷より大きな、何があるというのだ?

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:11392 )