イラン・イラク戦争の賠償金1兆ドルが未払い:7月18日のイラン・イラク戦争終結記念日を控えて
2007年07月17日付 E'temad-e Melli 紙

【エッテマーデ・メッリー:ラアナー・ゾウレ】ティール月27日(西暦7月18日)は、安全保障理事会598号決議をイランが受諾した記念日である。決議を受諾して19年経った現在も、イランは依然この戦争の賠償金を受けとることができておらず、イラン・イラク戦争の推計約1兆ドルの賠償金は未だ支払われていない。

1366年ティール月29日(西暦1987年7月20日)、国連安全保障理事会は、イラン・イラク戦争について、数度目となる話し合いを行った。この会議の最後に決議が採択されたが、その精神は安保理のイラン・イラク紛争に対するこれまでの立場と大差ないものだった。2750回目の国連安保理会議で決議されたものは、中東地域の戦争継続がもたらす予測できない様々な結果に対する国際社会の懸念を表わすものであった。

10項目からなるこの決議で最も重要な点は、初めの一歩として即時停戦を宣言し、紛争を話し合いで解決すること、両国が国際的に承認された国境まで軍を撤退・帰還させること、戦争終了後速やかに戦争捕虜を解放・帰還させること、そして戦争を開始した責任者について調査する中立の委員会を決めることであったが、兎にも角にもこの決議は、8年に及ぶイラクの対イラン戦争の結果もたらされた中東の危機を解決すべく、国連によって採択された。

だが、イランではこの決議を受諾するための努力が一切なされていなかった。8年に及ぶ戦争を指揮したアーヤトッラー・ハーシェミー・ラフサンジャーニーによれば、ホッラムシャフルでの勝利後、停戦を受け入れる用意のある者は全くいなかった。またちょうどその頃、戦争継続をどうするか決めるための最高国防評議会の会議がもたれたが、エマーム〔ホメイニー師〕は「何人たりとも停戦など口にしてはならぬ、この戦いは我々の目的を遂げるまで継続されねばならない」とおっしゃったという。このため、66年に採択された決議はイランとイラクに正式に受諾されることなく、無意味なものとなっていた。

列強がこれに関して行った努力により、ついに一年後の1367年ティール月27日、598号決議はイランに正式に受諾された。決議受諾に至った最も重要な要因は人的要因だった。すなわち戦争は甚大な人的被害から、持ちこたえられないほどになっていたのである。これは、「ラジオ・朝のニュース」と対談したハーシェミー・ラフサンジャーニーが日曜日、エマームがこの決議を受諾した要因について述べたことである。

決議受諾から19年が経過したが、決議の一部の項目は依然実行されておらず、両国の間で宙ぶらりんになっている。とりわけ賠償金の未払いが挙げられる。決議によれば賠償金は1兆ドルと見積もられ、イラク政府からイラン・イスラーム共和国に支払われなければならないのであるが、これもまたうやむやになっている。もちろん、両国の国境線問題も未だ決着がついていない。イラクが安定していないせいで、この問題も両国の交渉課題とはなっていないからである。

他には、平和協定の調印が挙げられる。両国政府は平和協定を正式に結んでいないため、現在イランとイラクは戦争中でもないが平和でもないという状態にある。

いずれにしても、すでに多くの年月が過ぎてはいるが、ヌーリー・アル=マーリキー政権との友好関係を鑑み、この国連決議の中でいまだ滞っている項目についてイラク政府と〔早急に〕交渉にとりかかり、同政府が支払うべき「強いられた戦争」〔イラン・イラク戦争のこと〕の賠償金を受け取るべく、必要な措置をとることが、イラン政府関係者には期待される。

(後略)

Tweet
シェア


現地の新聞はこちら

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:白峰侑子 )
( 記事ID:11433 )