街娼の女、自らに死刑を求める
2007年07月25日付 Jam-e Jam 紙

【事件部】生後5日になる息子を殺害した罪で拘置生活を送っている街娼の女が、昨日テヘラン州刑事裁判所第71法廷で行われた裁判に出頭し、その中で罪を認めた上で、自らを早急に罰するよう裁判官らに求めた。

 ジャーメ・ジャム紙記者の取材によると、昨年のシャフリーヴァル月14日〔2006年9月5日〕、ある女からテヘラン110番警察緊急センターに通報があった。女はテヘラン北部の福祉センターで生活保護を受けている者であると語った上で、生後5日になる息子を果物ナイフで殺害したと伝えた。

 通報を受け、第123ニヤーヴァラーン警察署の捜査官らが現場に急行すると、生後5日の新生児の遺体がゴミとともに捨てられているのを発見、この新生児の母親を逮捕した。捜査を継続するために、この女はテヘラン捜査局第10課に移送された。

 この若い女は自らをソヘイラーと名乗り、次のように供述した。「私は家出をした後、人の道に背き、許されざる関係によって、この子を産みました。信じてください。もしこの子が生き続けたとしても、その子の人生は暗澹たるものとなっていたでしょう」。

 この冷酷な母親は、殺害現場を再現した後、拘置所に収監され、昨日テヘラン州刑事裁判所第71法廷で行われた裁判に出頭した。

 裁判の冒頭、テヘラン州刑事裁判所検察代表のデルダーリー検事補は起訴状を読み上げ、被告に対する法的な処罰を求めた。

 裁判での冷酷な母親の告白

 起訴状が読み上げられた後、殺人の罪に問われたソヘイラーは、次のように弁明した。
私はイラン西部の街で暮らしておりました。私の父は、家族のことなど顧みず、享楽的な人生を送るだけの人でした。このような状態のまま、何年もの月日が流れていき、気がつくと私は16歳になっていました。その頃、私はある若い男性が好きになり、家を飛び出し、彼と密かに暮らす決意をしました。ところがその4年後、彼は交通事故に遭ってしまい、私は一人取り残されてしまいました。その後の私の人生は、不幸なものでした。家を飛び出し、家族の名誉を汚してしまった以上、もはや家に帰ることなどできませんでした。

 被告はさらに、次のように続けた。
その後私はイラン西部からテヘランに移り住むことにしました。しかし、私の生活はさらに悪化しました。私はアルコールと麻薬の中毒になり、堕落という肥だめの中に息ができないほどドップリと浸かってしまいました。〔男性と〕《密かな関係》をもった〔=売春の婉曲表現と思われる〕容疑で、8回も検挙されました。今私は子供の死を残念に思っています。しかし、もしあの子が生き続けたとしても、その子は不幸になっただけでしょう。裁判官の皆さん、お願いします。私に早く死刑の判決を下し、私をこの人生から解放してください。

 取材によると、アズィーズ・モハンマディー裁判官とその他4名の副裁判官は、適切な判決を下すべく、協議に入ったとのことである。

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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:11534 )