Derya Sazak コラム:ケマリズムへの批判
2007年07月31日付 Milliyet 紙

公正発展党(AKP)から国会議員に選出されたザフェル・ウスキュル教授は、(クーデターの起きた1980年)9月12日の軍事政権の産物である1982年憲法を牛耳っている「ケマル主義」が払拭された、「無色の」市民的な憲法の作成を提案したために、多くの反発が集まった。
ニューヨーク・タイムズ紙による選挙前のトルコ分析のなかに、7月22日(選挙)のさっそくの解説ともいうべき、驚くべき論評があった。
同紙は、AKPの伝統的な保守層のほかにリベラル層も、世俗主義エリートと彼らの支援者である軍に背を向け、その結果、トルコを牛耳っていた「アタテュルク、世俗主義、共和国」連合が解散しつつあると報じた。
共和国ミーティングによって支えられた世俗主義の守護者は、共和人民党(CHP)であった。
CHPは、不安を払しょくしたり社会に対するいかなる社会的・経済的方針も提示せずに、民族主義者行動党(MHP)との連合構想に基づく「民族主義的左派」イデオロギーに縛られながら(では)、政権に就くことは不可能であった。この現実が見えないCHP執行部は「われわれはどこで間違ったのか?」と問う代わりに、国民を責め続けている。ヒュッリイェト紙上で日曜日にアイシェ・アルマンがニリュフェル・ギョレ教授と行った対話のなかに、世俗主義エリートに向けての重要な提言がある。

「私たちは皆もっと明るいトルコを望んでいます。ここで、トルコの共和国主義者エリートたちに重要な批判を提示しなくてはなりません。つまり、ケマリズムと呼ばれ権威主義的な認識を持ち、自己改革を決して行わない共和国主義者のイデオロギーは、もはや自らを刷新する必要があります。
中道右派は消滅せず、中道左派は消滅しました。
ともかく右派の場所にはAKPが定着しました。左派消滅の下でも、共和国は「共和国の申し子ら」を蝕み始めています。非常に重大ですが、私はこれをこのように解釈しています。つまり、共和国は「共和国の申し子ら」を蝕みつつ、いままでやって来ました。幾度も改革の実施を望み、本来完全に共和国の一部であり、共和国の成功の証しである人間たちを排除しました。もっともよい例は、オルハン・パムクです。ノーベル文学賞を受賞し、完全に「共和国の申し子」であり、共和国の大きな夢であり、願いであり、理想であります。共和国の願いとは何でしょう?自らのなかから出でし者が、最上のところで、最大の賞によって認められることです。しかし、何が起きたでしょうか?彼に私たちができることはすべてしました。「トルコ人であること」がノーベル賞で試されるというような事態になったのでした」

社会学者のニリュフェル・ギョレは、福祉党(RP)と政治的イスラームが台頭した1990年代に女性運動を調査し、「現代的な内密さ」という定義によって宗教的コミュニティから現代性への移行に関する社会的分析を行った。
ギョレによれば、AKPは今日もはや篤信者の票を獲得した党ではなく、今日的な生き方を把握し、中道を代表する政党なのである。
CHPは中道左派から遠ざかったのに、AKPの右にも散らばっている。
バイカルのCHPは、1970年代におけるトゥルハン・フェイズィオールの信頼党(のような状態)になってしまった。世俗主義者とケマリストの票だけでは政権に就くことはできない。

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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:11540 )