Can Dundar コラム:雨乞いではなく辞任乞いを
2007年08月11日付 Milliyet 紙

昨日、私はアンカラのコジャテペ・モスクで行われた雨乞いの礼拝をつぶさに見てきた。
朝から正午まではというと、とある病院にいた。
水不足がもとで各手術は中止され、重篤でない患者は自宅に返されたのだった。
給水車からは下水同然の水が届けられた。感染症の可能性があると明らかにされた。砂漠の国でさえ断水なぞないものだが、これまで行ってきた政策のゆえに首都を砂漠にしてしまい、首都の人々を狂気に至らしめてしまった(張本人である)メリフ・ギョクチェキ市長は、不測の事態であるとの例を示しつつ、「アッラーがこれほどの災難をお与えになろうとは、見通せなかった。ムスリムはアンカラのために祈ってください」と述べたのだった。
ギョクチェキは次に「礼拝マップ」を出してきた。特にクズルジャハマムとチャムルデレで、まずは雪がのちに雨が降るように礼拝を行う予定だった。
これに関して、アンカラ宗務局は、首都の750ヶ所のモスクで雨乞いの礼拝が行われる予定であると告知した。元来、我々の慣習に従えば、子供達と家畜を1ヶ所に集めて礼拝を行わなければならないらしいが、アンカラでそうするのは難しいそうだ。

■「神よ、我らに水をあたえ給え!」
カンディル・ゲジェスィをひかえた日であった。コジャテペは尋常ではない盛り上がりを見せていた。
入り口で赤新月社がペットボトル入りの水を配っていて、信者は飲料水を使って礼拝前の清めを行っていた。
程なくして、雨乞いが行われる広間に黒ずくめの衛兵が入場した。これは、国家の要人の到着が近いことを告げるものだった。
エルドアン首相はケチオレンのモスクで礼拝に参加した。
就任間もないキョクサル・トプタン議長がコジャテペの会場に入場した時には、イマームは礼拝を始めていたのだけれど…。
「神よ、我らに水をあたえ給え」と祈っているのだった。
「君は慈悲深き方であられる…我らが様をご覧になっておられましょうや、我らが果物は乾き、我らが家畜は渇き、我らが川は干上がっております。我らは罪深き者でありますが、我らが罪過をお目こぼしくだされたし。我々を憐れみ給え。我らはめいめいの手のひらを開け、貴方に乞うものであります。我らに慈悲をあたえ給え」
手のひらは今度は空へではなく地面のほうへと向いた。目を閉じた信者の群れは、胸の高さに伸ばした手で、空気を地面に押しつけるようにして、神に雨を乞うたのだった。
モスクの出口で私が話を伺った白いあごひげをたくわえたある老人は、「これは宗教的義務ではないが、いいことだ。我々に清潔な心があれば、神は雨を降らせてくださる」と語った。

■辞任乞いの礼拝こそが必要だ

人々の心は私にはわからないが、何週間もの断水のためにアンカラの人々の体が清潔ではないこと(だけ)は明らかだ。
ショッピングセンターでは各トイレが閉鎖され、ロカンタ[定食屋]のなかにはプラスチック製のフォークとナイフで提供するところもある。水場の前では言い争いが起こっているし、給水車の蛇口からは濁った水が流れ出す。
首都はクサイのである。
災難が「やって来ているぞ」と言っているのに、誰ひとり何もやらないところをみると、近々、幾つかのモスクでは雨乞いの礼拝が続く一方、別のモスクでは「伝染病予防の礼拝」を始めなくてはならないだろう。
より永続的な策として、我々は、危機を生み出したメリフ・ギョクチェキの辞任のための礼拝に出るべきである。

■まずは対策を講じよ、しかるのちに礼拝を

雨乞いは、おそらくシャーマニズム信仰が生き残った儀式である。
無論、人類が祈ること(そのもの)に、奇妙がるようなことはない。
けれども、人類が世俗的な理性を駆使して議論をするようになってから1世紀を経た21世紀のはじめに、トルコの首都で、地方自治体の無能無策のために起こってしまった問題を解決するために、国家の要人が呼びかけ参加して雨乞いの礼拝が開催されるというのは、憐れな力不足を示すものではある。
ともかくも、我々はイデオロギーが気象学と交錯していた場所で、昨日、我々の期待通りの良識ある発言を、宗務庁長官アリ・バルダクオールの口から耳にした。
「水不足はアッラーがあたえた罰などではありません。対策を講じてこなかったことに対する罰を我々は受けているのです」と述べたバルダクオールは、まるでギョクチェキに当てつけるかのように、今後講じられるべきことについて、こう要約した。「まずは、やらなければならぬ策を講じよ、それからアッラーに乞うべし。」

■EU乞いというのもあるんだろうか?

モスクから出てくる際に、私は考えてみたのだが、今日突然大雨が降ったら、これに着想を得て、政府は自らの力ではどうしようもない問題について、我々に、たとえば「地震よけの礼拝」やら、「テロよけの礼拝」やらを持ち出してくるのかも知れない。
明日、我々の指導者[→エルドアン]が、「ヨーロッパでの政治的危機を我々は見通すことができなかった。さあ、正式加盟のために礼拝へ」と言い、子供達と家畜が広場に集められて、西に向かって空気をせっせと押させたらば、我々はEUに加盟できるんだろうか?

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:11628 )