Can Dundar コラム:ギュル外相夫妻の結婚記念日
2007年08月20日付 Milliyet 紙

アドゥヴィエ・ギュルは1980年にカイセリでのある結婚式でハイリュニサさんを見かけた・・・
そして、とっても気に入ってしまった。
そもそも、ずっと彼女は、サカリヤ大学で助手を務めていた30歳の息子の運命の人を探していたのだから。
ハイリュニサを一目見て、その目が釘付けになった。
ハイリュニサ・オズユルトは、当時、(イスタンブルの)チェンベルリタシュ女子高校の生徒だった・・・。元々カイセリ出身の父の仕事先がイスタンブルだった。
アドゥヴィエさんは、オズユルト家のことを調べ、普通の家だと分かると、息子に知らせた。
アブドゥッラーさんとハイリュニサさんは会い、結婚の約束を交わす。
大急ぎで婚約をし、指輪をはめた。
そして、結婚式の日取りが整えられたのだった。

***

カイセリ婚姻事務局の保管資料のなかの婚姻記録台帳によると、ギュル夫妻の結婚式(婚姻届)の日付は、1980年8月20日水曜日・・・
つまり、27年前の今日だ・・・
写真のなかの15歳の新婦は、裾に刺繍が施された純白のスカーフ越しに恥ずかしそうにこちらを向いている・・・
新郎のほうは、口ひげと眉が黒々とした姿で写っている。
結婚式の立会人は、新郎の母方の伯父であるアフメト・ターヒル・サトウルと、新婦の父方の伯父であるヴェイセル・ゼキ・オズユルトが務めた。
結婚式用の車はシボレーで、新郎のいとこであるメフメト・テケリオールが運転した。
彼は今、公正発展党所属のイズミル選出国会議員である・・・
イズミルとイスタンブルからの招待客とともに、自宅で食事と礼拝込みのカイセリ式結婚式が行われた。
こうして、お見合いで知り合ったギュル夫妻は伝統的な結婚式を経て結ばれたのだった。

***

先の土曜日に誕生日を祝い、今日結婚記念日を祝うことになるハイリュニサ・ギュルには、来週にも新しい「トルコのファースト・レディー」になる準備が整えられている。
ここのところ、彼女のスカーフと同じくらい、彼女が子供と言えるような年齢で結婚したことや、スカーフを被ったために高校を2年で退学したことが、あれこれ議論されている。
娘たちが、彼女らが子供の頃に「夫に与えられる」習慣は、アナトリアのこととして我々はよく知っているけれど、大都市ではまずありえない習慣だ。
まして、結婚したらスカーフを被らされたり、学校に行かせてもらえなくなって、勉学が道半ばで途絶えてしまうというのは、女性を無知のままに押し込めておくような所業ではないか・・・
スカーフというのは、メフメト・Y・ユルマズの表現を借りて言えば、「女性が社会に進出するためにはスカーフで頭を覆っていなければならないことを示すような、また女性と男性の不平等をあらゆる人の目に見えるようにするような、一種のものの見方」を代表している。そしてユルマズは言う「このようなものの見方が、チャンカヤ[=大統領(職)の比喩]によって讃えられることになれば、社会に進出しようとして、トルコのあらゆる場所で抑圧されている若い女性たちにとっての一種のモデルが出来上がることになる。」

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たぶん、その通りだ。だが、こう問うこともできるだろう。
ハイリュニサ・ギュルは、結婚によって挫かれた学ぶという夢を実現するために、高校を高卒認定試験を経て修了し大学に合格したが、その時に彼女を門前払いしたのも、彼女に「スカーフを脱がないなら、学業は認められない。夫のところへ戻れ」と言ったのも、「トルコのあらゆるで社会に進出しようと奮闘している若い女性たちに対する」、また別の抑圧ではないのか?
大学とは、様々な抑圧が排された、社会での生き方を教え、(またその生き方を)護り通すために万人に(とりわけ、そういった抑圧をわがこととして感じている人々に対してこそ)開かれていなくてはならない知のあつまりではないのか?
ハイリュニサ・ギュルが、自分の娘を、自分と同じように15歳で結婚させるかわりに、自分の夢を娘に(託して)実現させ、大学に行かせたことは、「トルコのあらゆる場所に住む若い女性とその家族にとってのモデル」とはなりえないのだろうか?

***

15歳そこらの子供の頃に結婚させられ頭を覆われたのち、学校に行かせてもらえなくなること(そのもの)は非常に深刻な問題だと私は思う。ただし、そうだとしても、このような波乱万丈の道を実際に生きた女の子の抱く学びたいと願う気持ちや、自らの夢に従って生きられないかもしれない子供たちを育て上げる際に見せる熱意や、更には、法の下に定められた個人の権利を駆使して自らを学校に行かせなかった国家を訴えることができ、そして、大統領府にさえ登ることができること――これらは共和国の敗北なんかではなく、共和国が積み上げてきたことが生んだ結果なのだと、私は考えている。
チェティン・アルタン師匠の言い方にならえば、「私はうなじまで黒ずんではいませんよ(→ことさらに悲観しているわけではありませんよ)。」

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:11695 )