Hasan Cemal コラム:私のルーツ ―ハラチオール発言へのとまどい―
2007年08月24日付 Milliyet 紙

トルコ歴史協会会長のユスフ・ハラチオール教授の発言を聞いて、私は自分のルーツを思い出した。
そして、考え込んでしまった。
私は何者なのだ?
ハラチオールは、ある会議で、クルド人は元々テュルクメン人であり、アレヴィー信徒のクルド人は元々アルメニア人であると明らかにした。その一方で、この国土で「27種類の民族的ルーツについて語ること」は間違っていると熱弁を振るったらしい。
そしてこう付け加えた。
「皆さんはご自身が何者かを知らなければなりませんよ!」
私はとまどってしまった。
私は何者なのだ?
トルコ人なのか?
グルジア人なのか?
チェルケズ-カバルダ人なのか?
マケドニア人なのか?
こんな問いが私の頭をとらえて離さなくなった。
なぜなら、私は、自分のルーツがオスマン帝国版図の四方八方に散らばっていると分かっているのだから。
母方の祖母はムスリムのグルジア人だった。
コーカサスから、まずはキプロスへ、のちにイスタンブルへ移住した一家だった。
母方の祖父はチェルケズ-カバルダ人だった。
幼い彼は、クバン川のほとりのクラスノダールの町から士官になるべく、19世紀後半にイスタンブルのクレリへと送られた。
父方の祖父は、ミディッリ[レスボス]島の生まれだ。
トルコ人であったとされた。彼も士官になるべく、19世紀も末になって、家族によってイスタンブルに送られた。
父方の祖母はルーメリの出身。
ギリシャのマケドニア地方、セレスの生まれだ。
マケドニア人であったかもしれない。
では、私はいったい何者なのだ?
ハラチオールに尋ねたら、いったいどんなお墨付きをいただけるものか、私にはわからない。
でも、私はトルコ人だ。
そうやって育てられたし。
そうやって大人になったし。
そうやって教わってきたし。
自分では、トルコ人だと感じている。
しかし、歴史協会会長のハラチオール教授は、自分たちがクルド人だと感じている人々に対して貴方たちはテュルクメン人だと言い、クルド系アレヴィー信徒だと感じている人々に対して貴方たちはアルメニア人だと言い、問題にけりをつけようとしている。
正気の沙汰ではない。
これは人種主義ではないか!
自らを賛美するあまりに、「他者」を蔑ろにするような民族主義的で狂信的な思考回路だ・・・。
かつて、この国の公定イデオロギーは「クルド人などいない、ただトルコ人がいる(だけだ)!」と謳っていた。
これはもう昔の話だ。
しかし、ハラチオールの解釈はまだ昔のままだ。彼は歴史と社会を、古くさい人種主義の決まり文句で読み取ろうとし、理解しようとしている。
こんなのは、歴史から敵意を引っ張りだし、歴史のページから憎しみを生み出すだけの思考回路だ・・・。
くそっ!
これは、危険な思考回路だ・・・。
自分がクルド人だと感じれば、その人はクルド人だ。アレヴィー信徒だと感じるならアレヴィー信徒で、アルメニア人だと感じるなら、その人はアルメニア人だ。
つまりは、誰がなんと言おうがそうなのだ!
人様のルーツを弄んではならない。
人様のアイデンティティの拠りどころを摘み取ってしまおうとすることほど、愚かな所業はありえない。
あらゆる人の言語、宗教、そして信条は、神聖なものだ。
手出し口出しご無用なのだ。
我々の手で、人種主義的、民族主義的狂信にとらわれた諸々の思考が、この社会で影響力がなくなるようにしていくほかにない。
この道のりは、いまの時代に合致した教育によって繋がっていく。
この道のりは、民主的な文化を受け入れることで繋がっていく。
この道のりは、民主的な法治国家がこの国に根付くことで繋がっていく。
この道のりは、憂いなき繁栄によって繋がっていく。
この道のりは、過去を縛っているものを解き放つことを必要とする。
さもなければ、フラント・ディンク暗殺や、サントロ司祭襲撃や、マラトゥヤでの(出版社)襲撃のような事態が絶えることはない。
さもなければ、刑法301条に基づく訴追が絶えることはない。
人がルーツやアイデンティティ、言語や宗教がもとで思い煩うことのないように。自分たちを賛美するからといって、他人を貶めようとしてはならない。
それより他に和解の方法はないのだから。

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関連翻訳:トルコ歴史協会会長ハラチオウルによれば、クルド人はテュルクメン系だそうで・・

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:11735 )