Zeynep Gogus コラム:アルコール販売が減っても増えても・・・
2007年08月25日付 Hurriyet 紙

私の家族の出身地であるガズィアンテプは「トルコで最もラクの消費量の多い都市」と言われるが、どうもそれは正しくないらしい。

都市伝説の中にはすでに当てはまらないものがある。ある時期について正しいかもしれないデータは、トルコ社会の変容と移住の送り出し/受け入れに伴って全ての都市にとってすでに有効でないかもしれない。ガズィアンテプは女性のウェイターでも自慢していたものだったが、これもまた最も新しく見積もっても5、60年前までのノスタルジックなデータだ。あるいは古き良き思い出である...

ラクやワインのような酒類生産者の手元にある2007年の数字はトルコの東部や南東部、それに徐々に中央アナトリアをも含む形でアルコール飲料の消費の減退を示している。徐々に保守化している東部と比較的リベラルな西部の間においてこの観点から顕在化している違いは、トルコを論じる者たちが十分留意する必要があることは言うまでもない。

***

トルコはイスラーム的な色彩が急速に濃くなっている国だ。大統領府の頂点まで達したこの社会的事実を制限する可能性はあるのだろうか?私見では、権威主義的方策に訴えない限りはほとんど不可能に思える。それならばトルコはどこに向かっているのか?イスラーム法によって導かれる国になるのだろうか?

まもなく(下に)書くつもりのことを誤解して欲しくはない。そのためまず自分自身に関するカッコ書きをしておこう。学校の卒業アルバムを見つけたが、そこで友人達は私について「クラスの西洋化のリーダー」と書いていたようだ。今でも変わったことはない。

我が国におけるイスラーム運動の高まりは、基本的にトルコのスンナ派社会が担っている。スンナ派イスラームはといえば、イランのシーア派にあるような国家を脅威にさらしかねないヒエラルキー的な宗教家の階層を生み出す能力は持っていない。アレヴィー派社会はといえば宗教と国家の役割の分離を支持する。公正発展党(AKP)からアレヴィー派の(議員)候補者が立つことは、この事実の全てを変えるには不十分である。アレヴィー派の人々はスンナ派政権の権威をいつでも拒否するはずだ。

歴史的な理由によりトルコ独特のイスラームがあることを我々は知っている。トルコ人がイスラームを受け入れる前にシャーマニストであったことの影響がある。他方でアナトリアの民族的な豊かさと長年にわたって変化してきたアイデンティティが好む好まざるにかかわらず生み出した結果は否定できない。

これらの事実は我々に次のことを伝えているのかもしれない。すなわち、トルコの持つイスラーム的な特徴は、国家の構造を徹底的に破壊する企てが起こることを許さないだろう。他方でトルコイスラームがあるのと同じ形でトルコの政治システムもある。この2つが1つにまとまっているため、トルコのおける安定を揺るがすことは容易ではない。

私見では、暴力はトルコ社会にとってとても縁遠いものだ。この国では、カリフを権力から追い落としたのも世界で起こりうる最もソフトな形で、血を流さなかった。西洋ではといえば、国家と教会は激しく対立した。戦争が起き、血がどろどろ流された。

東部でお酒の消費が減り、西部で増えて我々がショックを受けても結局我々は何らかの形でバランスを保つだろう。

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:11746 )