Murat Yetkin コラム:そして、ギュル氏がトルコ大統領に
2007年08月29日付 Radikal 紙

トルコで新しい時代が始まる。緊張を過去に葬り去るのは、アブドゥッラー・ギュル氏の手腕にかかっている。

アブドゥッラー・ギュル氏は昨日(28日)、議会においてこれまでの候補のうちもっとも多くの票を得て、第11代大統領に選出された。宣誓の後すぐ議会にむけて行った謝辞演説の冒頭で、自身の選出がトルコにおける民主主義の成熟度のバロメーターであると位置づけた。

次に述べるようにこの発言には一理ある。つまり、2002年選挙の前には、公正発展党(AKP)がたとえ選挙に勝ったとしても、同党に政権が委ねられることはないだろうと言われていた。そう言った人たちが意味していたのは、軍事介入であり、彼らは実際、軍部をとおして目に見えない力を行使しようとしていた。今年の大統領選挙の議論も、このような影の中で進められた。といっても、参謀本部から出された声明が、この力を行使したがっている人々に力を与えなかったわけではない。しかしギュル氏は、政党内部からの後ろ向きな動きさえも乗り越えて、確固たる決意で大統領職を望んだ。非直接的な脅威にさらされても、(自らの決意を)主張し続けた。そして昨日、議会によって大統領に選出された。宣誓し、アフメト・ネジュデト・セゼル第10代大統領から職務を引継ぎ、大統領官邸に落ち着いた。

確かに、参謀総長と軍幹部用の席が空席となったことは、好ましい状況ではないし、ひとつの反発のあらわれだった。このボイコットが(投票日の)前日にビュユクアヌト参謀総長が公表した8月30日用のメッセージにみられた強硬な表現と関係していると、議会の舞台裏ではささやかれている。ギュル氏は、重要な職についたばかりの初日に、いくつかの懸念がボイコットとして現れるという事態に直面した。

おそらく軍人たちは不快感を出席が義務付けられていない行事に欠席することで示してくるだろう。ビュユクアヌト参謀総長主催の8月30日のパーティーでこの緊張状態が続くのだろうか?続くのであれば、どう続くのか、いつまで続くのか、どのように解消されるのだろうか?宣誓式でのボイコットの光景から、これらの疑問が思い浮かんだ。

議会総会における共和人民党(CHP)の座席も空だった。しかし大統領選挙で一部の政党の座席が空席となるのは、以前にも見られたことだ。同じく共和人民党のデニズ・バイカル党首は、ギュル氏ボイコットは危機を呼びかけるものではないし、実際に危機も起こっていないと語った。民族主義者行動党 (MHP)のデヴレト・バフチェリ党首は、ギュル氏が行った宣誓を根拠に、その路線から外れることがないかどうかを注視していくと述べた。民主市民党 (DTP)のアフメト・チュルク氏は、ギュル氏の演説について、全ての思想や立場を受け入れようとしていると述べた。

ギュル氏の演説は注意深く、均衡を意識したもので、バランスのとれたものだった。
世俗主義に特別な位置と重要性を与えたことは、おそらく軍部と共和人民党を含む社会の一部が感じている、とりわけ世俗主義原則が傷つけられるのではという心配に応えるものだったろう。しかし、その部分で「民主主義の中で異なるライフスタイルを自由化する」という表現は、政治の舞台裏ではすぐにイスラーム風スカーフ/スカーフ問題に関連づけて受け取られた。ギュル氏は、大統領職においてこの問題を異なった視点で検討するとすでに最初の段階で示したことになった。

懸念を抱く人々がいる一方で、社会の大半は皆の大統領になるというギュル氏の言葉を信じる傾向にあり、ギュル氏に対する信頼がみられる。長い間、黙り込んでいた大衆は、自分が支持する候補でないにしても、固定化した勢力によって妨害されようとしていたひとりの候補者--今回の場合はギュル氏--を、完全に民主的な方法によって投票で大統領府に到達させたことに満足している。この様相を注視する必要があるし、また過小評価してはいけない。

タイイプ・エルドアン首相は昨日、政府と大統領の間の不調和時代はすでに幕を下ろしたと語った。これは、トルコにおける1980年9月12日の軍事クーデター政権期をのぞき、あまり経験したことがない状況になる。そのうえ、当時でさえいくつかの問題は生じている。この調和は、決議が迅速に下され、実行に移されるという点が長所だ。しかし欠点や間違いの訂正が不可能になるという点では問題を内包する基盤にもなりうる。

冒頭でも述べたが、すでに全てはギュル氏の手腕にかかっている。

ギュル氏は、皆の大統領になること、自由を広げるべく努力すること、そして全ての人に門戸を開くと約束した。
ギュル氏が約束を守ることがすなわち、プロセスが問題や緊張なく進むこと、そして社会の平和と開発が世俗主義と民主主義の原則の枠内で進められることの保証となるのだ。

トルコで全く新しい時代が始まっている。
この時期、とりわけ2008年実施予定の地方選挙までの期間は、もしかすると延長された蜜月となる可能性がある。その日以後、何がおこるのか、その一部は時間が示すことだろう。目下のところはギュル氏の任期が、トルコと人々に平和と幸福をもたらすことを祈り、期待する必要がある。

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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:11771 )