Mumtaz Soysalコラム:ギュルのハンディキャップ
2007年08月29日付 Cumhuriyet 紙

 昨日〔8月28日〕は、「セゼルのいる時代」の最後の日だった。言い換えれば、共和国のトップに、従来の態度を文句なしに受け入れ、革命原理を心から信じている人物がいた日だ。セゼルが外国にほとんど関心を抱かず、国内をまわって民衆と気の置けない関係を築くことに時間を割かなかったことを批判する者もいた。そう言ってセゼルを批判していた人たちは、セゼル自身が集めていた尊敬を打ち壊すことができなかったし、また、セゼルの法律家らしい細心さを取り上げて非難していた人たちも同様だった。公正さや、国家の名誉を守り、民衆の財産が侵害されないよう配慮するという点では全く非の打ち所のない人物が共和国を代表することは、様々な信条や傾向を持つあらゆる国民にとって心から安心できることだった。

 「ギュルの時代」が始まったのはこんな雰囲気の中ではない。

 共和国の最も基本的な性格の一つである世俗主義を議論の俎上に乗せることから政治活動を開始した政治家が、そのアプローチを保ちつつ国家の頂点に上ることができたということは、多くの人にとって簡単に受け入れることができない恐怖である。あたかも、共和国が崩れることも脅かされることもないということに常に信頼を持って生きてきた時代が終わり、不安を与えるような時代に突入したかのように、不安定感が心の中で広がり始めている。ギュル氏がどれだけ努力しようと、どんな言葉でどんな誓いを立てようと、いわばギュル自身がもはやはっきりとその人物の中に象徴してしまっているこの感情を変えることは難しいだろう。

 セゼル時代、国家の独立や外国からの敬意、主権といった問題を考える際、大統領に対してはどんなに小さな疑いも影を落とすことはなかった。しかし、新しい時代においてギュル氏の最も重大な不幸は、外交の責任を非常に長期間にわたり担ってきたことだ。外交の舞台では、まさにこれらの言葉--国家の独立や外国からの敬意、主権--がしばしば問題となり、議論の的となり、多くの場合これらの問題について悪い状況が生まれてきた。セゼルは本当に必要と思われ、また「決議事件〔注〕」のような肯定的な結果に終わった状況のなかでようやく外交の舞台に現れた。このことが一般に外交におけるネガティブさから彼を守ってきたと見ることもできよう。他方ギュルはとても輝かしいとは言えない結果に満ちた外交の闘技場に長期間留まった。そのため、予想とは逆に、おそらく彼自身からみても、最大のハンディキャップを負うことになったのである。

 キプロス問題、EU加盟問題、イラク問題といった外交問題における不成功は、一国務大臣としては簡単に忘れさせることのできない記録といえる。なにより、国益を損なうほどに外国の歓心ばかりを買ったのだとしたら〔余計に問題だ〕。

 外交と同様に世俗主義の問題でもギュル氏の経歴は障害となろう。この問題では、自分の信条と矛盾することなく、そして世俗主義については決して一歩も引くことはないと最近また明言した軍部とも対立せずに、つつがなく舵取りしていくことは非常に難しいだろう。この困難さが日々の行動に影響し、国家のトップにありながらどっちつかずで極度に臆病な人物のように振舞うとしたら、おそらく彼自身も、また国民をも非常に悲しませるような弱さを人目に晒すことになるかもしれない。

〔注:米政府がイラク侵攻に際して米軍のトルコ駐留・通過許可等を求め、トルコの公正発展党政府はこれに応えて議会に決議案を提出したが、2003年3月1日に議会がこれを否決した事件を指す。セゼル大統領は否決の前日、国家安全保障評議会で『決定は議会が下すもの』との見解を表明し、政治的解決を図ろうとする政府を牽制した〕

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( 翻訳者:宇野陽子 )
( 記事ID:11775 )