Taha Akyol コラム: チャンカヤで変化すること
2007年08月29日付 Milliyet 紙

 7年と100日前、大統領選挙の推移を見守るため、私はやはりアンカラにいた。今日のように、当時も私は胸中で安心を感じていた。イェルキョイにある第一司法裁判官時代以来の知人であるアフメト・ネジュデト・セゼルが大統領に選出されようとしていた。憲法裁判所長官に就任した後、彼と対談した。多くの点において見解を共有していると私は感じた。憲法裁判所長官時代に行った2つの演説には私も拍手喝采したものだ。
 昨日、古い資料に少々当たっていた。2000年の7月と8月に2つの大きな危機があった;新たに選出されたセゼル氏は「反動及び分離主義者の公務員が追放されること」に関する法案にサインしなかった!セゼル氏は「大学において民主主義の働きを阻害する」高等教育協議会(YÖK)の執行部が準備した大学学長の任命リストを差し戻した!
 メディアの論調は殆ど2つに分裂した;例えば、オクタイ・エクシさんはセゼルを批判し、私はセゼルを支持した!敬意を示さないことで有名になった記者までいて、セゼルに対して「アフメト氏」と呼ぶものもあったのだ!
 今日、セゼル氏に関する態度の多くは、その(大統領任期の)始まりとは完全に逆である。民主主義に注意を払う調停者、地位が登ると、変化をやり過ごして中に閉じこもり、既成の体制、現状を保持や保護の思いに取り付かれた。
 (その人物に)関する人々の態度もまた、彼に従って変わった。

■ギュルもまた変わるだろう
 
任務や責任は人間の考えや振る舞いに影響を及ぼす。ギュルもまた大統領の職務において「変わること」を私は信じている。ギュルには政治の経験があり、世界との接触がある。経済や外交の場における蓄積もある。このおかげで、視野はより広い。大統領職で中に閉じこもることを望むものは誰もいない。ギュルが大統領職において見せる変化とは、中に閉じこもり、思想や感情が硬直する方向性ではなく、逆に、より「開かれた」方向性で起こることと私は思う;その経歴ゆえに「公正発展党の大統領」のように振舞わないだろう。更に、幾つかの決定的な拒否権により政府をうろたえさせても驚いてはならない。 
ギュルは社会の様々な階層に「開かれた」大統領となるだろう。党派的でイデオローグな大統領にはならないだろう。党派的な、またはイデオローグな大統領のタイプは議会政治システムの理論には合わない。社会に熱狂と憎悪の感情を生み、二極化に道を開く。社会における問題の解決ではなく、緊張を生む役割を果たす。
ギュルは、逆に、全ての階層に開かれた、和解者の責務を負うことを、歴史が彼に関して下す判定のために、よりふさわしいと見なすだろう。

■西洋のスタンダード

 セゼル氏への私の期待が誤りであったように、ギュル氏への(私の期待)も誤ることはあり得るだろうか?皆人間であり、間違えることも、間違えさせることもある。
 大統領ギュルの態度あれこれを批判することは出来る、しかし、一般的な態度については、今日上で書いたことに間違いがあるとは思っていない。
 まずその気質…冷徹で眉をひそめる、人との接触を避けるタイプではなく、逆に交流するエネルギーを生み出すタイプである。政治経験も彼を狭い取り巻きから幅広い層に開く点を新たに生み出した。
 そして外務大臣;世界を知り、世界と接点を持ち、世界の変化を見ることは重要である。この要素は彼を特に西洋のスタンダードにおいて「大統領」となることを推奨する。
 ギュル氏は、選出された後に彼が行った演説にあるような大統領になることを私は信じている。
 セゼル氏を敬意と共に見送ろう。
 ギュル氏に、共和国最高の名誉ある地位での成功を祈ろう。

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( 翻訳者:関口 陽子 )
( 記事ID:11780 )