Oral Calislar コラム:どのような憲法がふさわしいのか?―与野党に望むこと
2007年09月04日付 Cumhuriyet 紙

トルコはかなり以前から、悔しいかな、クーデター後に制定されたいくつかの憲法によって統治されてきた。これらのクーデター憲法は、その折々のクーデターの持つ精神にしたがって形づくられたものだ。もちろん、そのたびに、政権に対して軍部の重要性を高めるような条文が加えられつつ、いまに至るのである。

公正発展党は、議会での多数を背景に新たな憲法を制定するべく行動に移った。実際には、[憲法案可決に必要な]議会の3分の2の議席を彼らが有しているわけではない。しかし、問題を国民投票にかけることによって、[所期の]結果を手にできる可能性がある。

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まず、次のことを理解しておこう。すなわち、トルコは1982年憲法から救われねばならないのだということを。なぜなら、同憲法の方向性を定めている基本原則は、権威主義的な統治方法を目指したものであるのだから。9月12日[後]の軍事政権は、トルコを極めて厳格に統治していくという認識に基づいて、憲法の起草に主導的な役割を果たした。憲法で規定される諸機関についても、彼らは、中央の権威の監督下におこうとし、それらの活動領域を制限しようとしたのである。

トルコは、EU加盟をその目標に据えるがゆえに、そもそも統一会談の席で、権威主義的な1982年憲法のあらゆる箇所を修正変更しなければならなくなっているのである。EU基準を適用した法規はどれも、憲法の条文と齟齬をきたしている。

もちろん、EUへの加盟プロセスよりも重要なのは、我が国がより自由が保障されるような統治方法を目指すことである。民主主義を行き渡らせ、多種多様な声や、個々人の違いを、豊かさだと受け止める、そして、それに相応しい法解釈を反映する――そんな憲法が、トルコには今すぐにでも必要なのだ。

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このような憲法が、[強制型ではなく]参加型の様々な方法によって起草されることは、極めて重要である。社会の様々な政治潮流に属する人々、市民社会組織、そして様々な政党が、この憲法起草に何が何でも参加するべきである。公正発展党政権が新たな憲法草案を用意するにしても、それがそっくりそのまま可決されるべきではない。

このプロセスに野党が参加することが重要なのはもちろんである。昨今では、(社会を)分極化させようとする政治手法が支配的になったが、分極化の代償として、互いの意見に耳を傾けない風潮を助長してしまったのである。憲法起草プロセスも、同様の危険性をはらんでいる。

まして、今のうちからこの緊張関係の高まりが望まれているとさえ、言えるかもしれない。憲法草案の起草に携わった数人が口にした言葉は、昨今の協調ムードを台無しにするのに十分だったのだから。

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人々の中には、アタテュルク主義と世俗主義の問題についての深刻な懸念にさいなまれるあまり、活字メディアで表明される様々な考え方について異議を唱える方もいる。ゆえに、そういった人々は、準備されている草案について、明らかな不信感を抱いていることを公然と主張するような態度にでたのである。

現時点で誰の目にも明らかな公式の草案があるわけでは、もちろんない。そういった草案が明らかになった暁には、議論はより意義のあるものとなるだろう。与党も、野党も、この問題については良識をもって当たらねばならない。この問題だけは、政治的な緊張のタネにならないように双方が腐心すべきである。

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新しく普遍的な民主主義の諸々の基準に相応しい憲法がトルコには必要なのだと、我々は認めるべきである。今後は、特に野党が、この憲法をより自由が保障され、国際的な法的基準に見合った形にしていくために、プロセスに加わることが重要となる。

「我々は望まない」と言ってこのプロセスの蚊帳の外にいることが有益だとは、私には思われない。プロセスに、野党をはじめとした社会のあらゆる層が、進んで、主体的に参加するべきなのである。与党も、そういったメカニズムを用意するべきである。自分たちの良識を、そして、民主主義、多様な声に耳を傾ける幅をもっているという方向性を示してみせるべきである。この点については[参加しないのならいい、という態度ではなく]説得的であるべきだ。

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憲法の起草は極めて真剣な問題である。おそらく、今後長きにわたって影響を及ぼしていくであろう建て直しの最初の礎は、この憲法起草プロセスの際に打ち込まれるはずである。

この国のあらゆる組織が、文民化され、また参加型の統治方法に見合ったものにならねばならない。1982年憲法は、全く正反対に、上意下達のあらゆる組織が、軍人的で権威主義的な解釈の枠内で組織化され、社会参加や和解の道を絶っていたのであった。

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新憲法がタブーを乗り越えて、参加型の精神へと立ち戻れるようにする仕事が我々を待っている。白か黒かの次元に陥るのではなく、「よりよくするために貢献」するという意図をもって参加することこそが有益なのだと、私は信じている。

与党にとっても、この問題については説得的であること、そして、参加型の統治方法をより発展させ、信頼性あるものにしていくことが重要となるのである。

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:11825 )