Turker Alkan コラム:「イデオロギーとは無縁の憲法」論の死角
2007年09月11日付 Radikal 紙

悩ましい日々がやってきた。お聞き及びのこととは思うが(!)、「新憲法」論議が様々な問題を巻き起こす原因になるだろう。

まあ、始まったばかりなのだが。「リベラルで民主主義的な憲法はイデオロギーとは無縁であるべきだ」と言われている。

とってもスマートでエレガントな文言じゃないか。そうだとしても、「リベラリズム」とはイデオロギーではあるまいか?イデオロギー的に想定されているものは自由市場経済ではあるまいか?個人の利益が増大すれば社会全体の利益も増大するはずだ、というのがそのイデオロギー的謳い文句ではあるまいか?[挙げていけば]リストは延々ときりがないが・・・。

そう、リベラリズムは左派に対して大勝利を収めた。確かにその通りなのですがねぇ・・・。[リベラリズムは]昨今のグローバル化によって、世界規模でヘゲモニーを形成するようになり、もはや、何でもかんでも民営化することが、単なる流行以上のものになった。「科学的真理ならば、実際にもそうしなければいけないのだ」とみなされるようになってしまった。

いまや、[陸海空]軍が民営化されて、国営宝くじが民営化されて、水源[運営]が民営化されて、刑務所が民営化されても・・・誰ひとり妙な話だとは思わない。

こうなってしまうと、極めて厳密な意味でのリベラリズムまでもが、その「イデオロギー的な」実体を失い、「科学的」真理に変質してしまう。多くのマルクス主義者たちについても同様のことが言えないだろうか?彼らにとって社会主義は、イデオロギーではなく、科学的真理だった。[つまり]遅かれ早かれ、歴史によって結論づけられるはずの真理なのだった。今日のリベラルたちは、かつてマルクス主義者たちが行ったことを、同じように行って、リベラリズムのもつイデオロギー的特性を無視してしまっている。

多くの敬愛すべき学者の方々もこの態度を支持し、「そうです、リベラルな憲法はイデオロギーとは無縁なのです!」と仰っている。

それはそれとして、公正発展党政権とエルドアンがどれくらい「リベラル」で、彼らがどの程度リベラリズムを受け入れたのか――こちらの問題のほうこそ、私には疑わしい。

たとえば、先頃、トルコ実業家協会のアルズハン・ドアン・ヤルチュンダー会長は憲法問題を含む色々な問題について会見を行った。会見は、厳しい調子のものでも、[和解ムードを]壊すような調子のものでもなかった。

しかし、「リベラルな」公正発展党は、この会見について強く反論した。公正発展党のエゲメン・バウシュ副党首は、こう答えたのである。

「民主主義とは多数決に基づく体制である。決定が保証されるべき、また政治的選択が平等な票決によって下されるべき場は、トルコ大国民議会であり、トルコ大国民議会以外で選ばれた誰かに、政権を監視するような権限を与える機関は存在しない・・・トルコ共和国憲法は、立法、行政、司法の三権以外には、いかなる人、機関、組織に対しても政治的監督権を付与していないのである。」

このようにのたまっておられるのは、公正発展党副党首様である。私の理解する限り、「貴方がどなたであっても、公正発展党によるスルタン制を批判していらっしゃる[ことに変わりない]。われわれ政治家は互いに批判しあっているのだから、貴方が口を挟む話ではない」と実業界に対して仰っているわけである。

エゲメン氏がこのように反論したのは、すなわち、トルコ実業界で最も有力な組織なのである。おお神よ、他の組織や労働組合、労働者団体が平穏無事でありますように。

この考え方でいくと、市民社会組織も、メディアも、大学も、なんにも言わなく[言えなく]なるだろう。そしてそのまま「イデオロギーとは無縁な」リベラルな憲法が承認されるだろう。皆様、おめでとうございます。

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:11881 )