Tufan Turenc コラム:エルドアンが作りだしたトルコ――ラマザンの食事風景から
2007年09月17日付 Hurriyet 紙

イスタンブルのバージュラル区には巨大なイフタール[ラマザンの日没後に供される特別な食事のこと]用テントができている。中は寿司詰め状態で、責任者の話によると3000人がいる。
彼らは、押しあい圧しあいしながら、首尾よく入場することができた幸運の持ち主たちだった。
中は二手に分かれている。
右側のテーブルには男性が、左側のテーブルには女性と子供が座るとのこと。
各テーブルには大皿に盛られた料理がおかれている。
テーブルはどこも、[ウェイターたちに頼まずに]めいめいが手ずから取り分けている。
料理は山盛りだが、無くなるとすぐに新しい大皿が運ばれてくる。
メニューは、イフタリィエリッキ[イフタール用特別料理]、メルジメッキ・チョルバス[レンズ豆のスープ]、チョバン・カヴルマ[羊飼い風ロースト]、ビラウ[ピラフ]、バクラヴァ[パイのシロップがけ]だ。

***

部屋の奥まったあたりには、他より一段高くなっている区画がある。
そこに設えられた10のテーブルは、VIPのお客様のために他とは別なのだそうだ。
そこに座るにふさわしいセレブには蝶ネクタイを締めたウェイターが応対している。
やって来た人々は口を揃えて「どうしたらいいのだろう。私たちは自分たちの状況がよくないので、家族や子供たちがお腹いっぱいになるように、とやって来たのに」とこぼす。
食事が済むと、どう頼み込んでも入場が叶わなかった[ような]子供たちが、テントに入り込み、テーブルに残された残り物に片っ端から群がっている。
ちぎれたパンにオリーブをのせる者もいれば、大皿に残ったピラウを、料理を取り分けるためのスプーンでぱくつこうとする者もいる。

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祖国のどこも、[以前エルドアン首相が引用した、20世紀初頭の思想家ズィヤ・ギョカルプが唱えたような]「現代文明」からは程遠く、心を切り刻むかのようなこの構図はまったく同じ・・・。
社会[福祉]国家という解釈とは似ても似つかないようなシステムだ・・・。
貧しく、なすすべのない人々を国家に服従させておくための政治だ。
彼らに豊かさのかわりに、施しをばらまいては、「アッラーのご加護を」と[彼らに]言わせるようなやり方ではないか。
これこそが、公正発展党とタイイプさんが作りだしたかったトルコだ。
イスラム的な服装をまとわせ、女性の頭を覆い、社会生活において宗教的な教義が効力を持つような「穏健なイスラム」体制である。

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イスタンブルの大衆向け食堂は言うに及ばず、極めて洗練されたレストランまでもが、今からこの風潮に足並みをあわせ始めたらしい。
これらのうちのひとつに入ると、最初にされる質問はこんなものだ。
「イフタールになさいますか?普通の料理になさいますか?」
こういった食堂の多くでは、酒類の提供はやめたらしい。
[とはいえ]夜中遅くの時間帯にアルコールを出すところも、中にはあるそうだ。
アナトリアでは、どこの都市であっても高級ホテル以外で食事にありつける可能性はない。
どこもかしこも、酒類の提供はラマザンの間はない。
公的機関の多くでは、1ヶ月間食堂が閉店することになったそうである。
何がどうなっているのか分かっていない人々もいれば、「大したことでもない」と冷静に受け止めている人々もいる。
ただ、誰もがよくよく知っておくべきなのは、トルコが「穏健なイスラム」に向かって滑りだしている、ということだ。

***

タイイプ・エルドアン首相が、「無二のひと」(註参照)になるべくエルグン・オズブドゥン教授に起草させた憲法草案の議論が終わろうとしている。
「社会の意見を仰ぐ」ショーが済んでしまえば、草案は議会に送られ、承認されるだろう。
必要ならば国民投票にかけられて、「タイイプさんの憲法」がトルコ共和国憲法として施行されるはずである。
その先に起こるのはいったい何か?
ええ、これについては問われようも、答えようもないのです。


【註】
○「無二のひと」(Tek Adam}
これは、元々、シェヴケト・スュレイヤ・アイデミルによるアタテュルクの評伝に付けられた題名である。

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:11937 )