Mumtaz’er Turkone コラム:憲法上の「トルコ人たることの定義」
2007年09月18日付 Zaman 紙

「文民的憲法」の議論をややこしくしている問題の筆頭に、「国民」の定義があると考えられる。この問題は、まず、トルコにおける民族問題と密接に関連している。

政治に携わるクルド人たちは、憲法第66条における国民の定義が「トルコ人と国民」を同一視していることにより、すべての者が「民族的にも、トルコ人になってしまう」ことに異議を唱えている。反対に、この「トルコ人」という言い方が「民族的ルーツを意味しない」という主張もなされており、これも正しい。一人の人間の民族的ルーツを、法規や憲法によって定義することはできない。
第一の問題に関連する第二の問題は、この定義が放棄されることは、一元的な国民国家の構造を放棄することの始まりとなるだろうという主張である。こうして国民の定義は、自ずと「体制の問題」に変化している。第三の問題は、現行の国民の定義は、憲法の前文にある「アタテュルクのナショナリズム」を参照しているという主張である。議論は実際のところ行きつ戻りつ、結局「一元的な国民国家」問題に辿りついている。こう見ると、われわれは国民の定義ではなく、国民国家の定義を議論している。

憲法議論を行う際、気づかなければならない問題がある。それは、今日まで施行されてきた憲法は、大人になりきっていないと思われた社会を、より適切な方法によって運営するために整備されたということである。子どもたちに「知らない人には近づかないように」と禁止するのは、単純な保護的な規定である。大人たちはこの判断を信頼している。こども向けの規定を大人にも適用することは、危険をではなく、多くの機会を妨げることになる。このため、「文民的憲法」が細部にまで注意を払い、社会が自由にかかわることのできる領域を拡大することが必要である。文明とは細部のことである。ニュアンスを排したトートロジーあるいは一般的な見解は、必ずやそれについて再考し、調整されるものでなければならない。

我々は(歴史を振り返ってみると)、1876年のオスマン憲法が受け入れた定式を、当時の国民国家に適合させた。「オスマン国家に従う者はすべて、いかなる宗教・宗派の者も例外なく、オスマン人とよばれる・・・」との条項は、「オスマン国民」創出という理想を表していた。国民国家の時代に多民族帝国を存続させる手段として、その多民族を「一つの国民」に変えるということをやってきた。「オスマン国民主義」とは、オスマン国家を建設したオスマン・ベイの名にちなみ、祖国という観念(想像)を中心にフランスのパトリオティズムをお手本とする、ある種の愛国主義である。この種のナショナリズムにとって共通部分が祖国であれば、「オスマン人たること」が国民として定義されることは自然なことであった。

「国民」という用語は、語源的には「同じ祖国、つまり同じ政治的領域において生きる人間たち」を意味する。「国民」とは、人間のあいだにおける紐帯もしくは近親性を「同じ祖国を共有する」という尺度によって定義することを意味する。オスマン人という表現はエスニックな連想をもたなかったので、とりもなおさず「国民」を意味するのは道理であった。

1924年憲法第88条にある国民の定義は、1876年憲法における定義から「オスマン人」(という言葉)をやめるかわりに、「トルコ人」という言葉を据えたことに他ならない。しかし、この定義は「国民という観点から」なされたために、1961年と1982年憲法とは異なっている。現行憲法が引き起こしている難問は、国民と「トルコ人たること」を同一視したことではなく、まったく異なることが発端となっている。82年憲法には、「トルコ国家に国民という紐帯によって結びついている者はすべてトルコ人である」と記載している。すなわち、憲法の第66条は実際のところ「国民」ではなく「トルコ人たること」を定義している。議論する際も、「トルコ人たることの定義」を議論しているとは、われわれは認識していない。定義付けをする際の最低限の手続きは、ある定義の「対立概念」を考えることである。第66条の対立概念は何であろうか?「(トルコ国民ではなく)トルコ人ではない者たち」になるのではなかろうか?

「文民的な憲法」議論におけるわれわれの出発点は、82年憲法第66条であってはならない。というのも、ここにあるのは「国民」ではなく「トルコ人たること」の定義だからだ。憲法が「トルコ人たることの定義」を必要とするか否かは別の問題である。しかし、「国民の定義」は絶対になされる必要がある。新憲法には、「祖国」を基盤とし法的な価値である「国民」の定義を確実に位置づける必要がある。われわれが間違えた問題を、「憲法に存在しない『国民』の定義をどのようにすべきか?」という形で、新たに問うべきである。

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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:12000 )