GURAY OZコラム:自由主義オオカミの話
2007年10月03日付 Cumhuriyet 紙

私たちは慰めを必要としていないが、彼は私たちを慰めている。「怖がるな、怖がるな」と彼は書いている。「怖がるな、怖がるな、ここはカリフの宮殿に妾がいたような過去を持っている。」彼はオリエンタリストのハーレム物語に影響を受けているようだ。禁酒のことはベキリの小話で知っているようだ。
彼は私たちを安心させ、私たちの「恐怖」を拭い、涼しい夜の果てに「自由」な朝へと目覚めさせている!「シャリーア(イスラーム法)もカリフ制も一瞬のうちに不図廃止された。それでどうなったというのか。」と彼は訊ねる。そして、「シャリーアをこよなく好むと思われる民衆は何をしたというのか。反乱をしたのか。内戦が起きたのか。いいえ!」と答える。
私たちに解放と建国を端的に容易に語ってくれている。
彼は私たちが何を恐れているかを知らない。彼は自分自身と同じ自由主義の兄弟のことを語っている。長年仕えてきた「変革」の下敷きになるのを恐れている。彼が語っているのは彼自身の恐怖である。
私たちは別のことを恐れている。

***

私たちは世界を見る。
帝国主義的資本主義が操るカラクリと崩れ得ないように見えるその力で挑んでいる深遠なイデオロギー的攻撃とこの攻撃の的に位置付けた「イスラム」像を見る。テロとイスラムの関係がいかに大きくされ、匠に横並びにされているのを見る。
そこを見るから危険信号を発している。
私たちは大中東構想に、アメリカ合衆国がこの地域で実施しているイスラムを利用した計画に恐れおののいている。
私たちは後進の東洋のイデオロギーが人類愛から容易に離れ、ちょうど十字軍のように容易に暴力に変化することを見て、経験してきたから慌てている。「血の日曜日」に刺され、メーデーで撃たれ、スィヴァスで焼かれた、ムムジュやクシュラルやフラントとともに殺されてきたからこそ、我々は我が国を守り、危険が大きくならないうちに我が民に注意を促そうとしている。

***
自由主義の予言者は私たちの悩みが酒やエンタテインメントや彼自身が耽る人生の悦楽に終始していると勘違いしている。疑いなく私たちも時々一杯飲みながら語り合うことも人生の精錬された悦楽も好きだ。しかし、政治の今日的または中長期的な問題を提起し、未来を見据える時に私たちを考えさせるのは別の悩みである。酒が飲みたいから宗教を敵視しているわけでもなければ、美的感覚が乱れるからスカーフ着用を取り締まろうとしているわけではない。
私たちの努力は大きな企みを、大きな詐欺を、大きな企てを解きほぐすことである。
「断食中にものを食べたから」といって若者を重体にしたチンピラどもは重要ではない。
「飛行機をメッカの方に向けろ、祈りをするから」という巡礼者の甘えぶりも「祈りの時間だから」といってバスを止める強硬な「信者」の不埒も私たちの悩みではない。
私たちの悩みは彼らに適した空間を提供するこの政治である。
この政治の背景にある大きな陰謀である。
この陰謀の血管に人間の血を送りこむ帝国的資本主義である。
貴方は、あの人間の血を、イラクで殺された百万人の人間を見ていないから、またその血によって大きくなってきた蜘蛛を憧れながら見ているから「怖がるな、怖がるな」といって私たちを落ち着かせようとしている。

***

イラクの分離に対して貴方は全く不安を覚えていない。
それどころか、その分離によって波乱をきたすはずの中東地域において、アメリカ合衆国の計画に応じて我が国を冒険に駆り出す際に貴方は一瞬も躊躇しないように思える。混乱した純朴の信仰深い我が民に、新しい大地の夢を抱かせようとしているところから、あなたの狡さが分かる。
貴方は言葉では軍人や軍国主義を批判しながら、目を光らして北イラクのクルド人との統合や領土拡大の話をしている。貴方たちの一人が「怖がるな、怖がるな」と言い、もう一人がアメリカ合衆国の計画に従順に対応すれば獲得するはずの「報酬」を見せて、私たちを騙そうとしている。
それほど説得力がないからまだましかもしれない。
貴方の民主主義がとってつけたようなもので、貴方の人間主義は嘘で、貴方の平和主義は虚構だ。
貴方たちの偽物の世界と私たちの本物のユートピアの間にあまりにも大きなギャップがあり、私たちは恐れずに戦い、貴方たちは恐れながらただ何かを待っている。
しかし、怖れる必要はない。怖がるな、怖がるな!

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( 翻訳者:イナン・オネル )
( 記事ID:12077 )