Tamer Korkmaz コラム 「頭をスカーフで覆うのであれば家にいなさい!」
2007年10月05日付 Zaman 紙

「スカーフを被った女性達はどこにいろというのだろう?前大統領セゼルを始めとする頑固な世俗主義の信奉者達によれば、スカーフを被った女性達は家に留まり、大学で教育を受けてはならず、この当然の帰結として、手に職をもたない主婦にならねばならない…」
ラディカル紙のコラムニストであるイスメト・ベルカンによるこの文章の考えは100パーセント真実を反映している…
大学におけるスカーフ着用禁止の根底には「世俗主義的体制派」が、女性が覆われることに感じる大きな(体系的)アレルギーが横たわっている…
「影の権力」はこの国において頭を覆った女性が公的空間に出ることを、社会化を絶対に望まない。なぜなら、頭を結んだ女性達に対し世俗主義の名において付けた役割は「頭を覆うのであれば家にいなさい、我々の世界に決して首を突っ込まないで下さい」という意味(明文化されていない規則)に拠っていた!「体制」はフランスより公式化した世俗主義を、普遍的な本質に反して、頑なな/抑圧的な形で適応した:他に、恐ろしいある間違いにもまた陥った。その始まりから、近代化を「唯一無二のモデル」しか持たない現象として考えた…
 社会‐経済的変化は以下のような点に達した:長年娘達を学ばせなかったと批判された保守的な父親達はもはや娘達を大学に進学させる段階に来た…それはいつ?最初は1968年だ!その頃、ハティジェ・ババジャン(外務大臣アリ・ババジャンのおばである)が大学の門に一歩を踏み出したことは、体制の支配者者達にショックを与えた…
 この事件は陰の政権/公的解釈にとっての現代化の形の逆であった。更に言えば、このような型が有効ではなかったことを証明していた。世俗主義の主権者達によれば、両親が「保守的」な、スカーフをした学生達が大学教育を望んではならなかった!1つの点に対し更なる注意を喚起したい:ハティジェ・ババジャンが頭を覆っていたことにより大学の門から追われた時、まだエルバカンの「ミッリー・ギョルシュ」活動は起こっていなかった!

「旗艦」ヒュッリイェト紙の船長室に陣取る人物が‐最も大きな新聞であるヒュッリイェト紙の主筆が‐イスメト・ベルカンの書いた内容に強く反対している;(彼の)同業者であるベルカンが前大統領セゼルに不当な言いがかりをつけたと主張している。例えば「妻が7年間全てを子供の教育に捧げた人間がそのように考えることは可能だろうか?」と問うている…
セムラ・セゼル(セゼル夫人)の働きは良い、素晴らしい;一方で、セムラさんとアフメト・ネジュデト(セゼル)氏が大学入学のこととなると女子学生達に「入るな」と言うことは、どう解釈すべきか?このひどい矛盾の祖父にあたるのは、共和国体制が長年にわたって親達に「娘達も学ばせなさい」と呼びかけた後、大学においてはスカーフの禁止を適応したことである。「さあ娘達よ、学校に」のキャンペーンの悲喜劇はこんな状況だ!
実際、スカーフ問題を政治化したのは、禁止が始まって以来、「スカーフは政治的シンボルである」と言うことにより、権利や法を無視した世俗派の「公的解釈」である。
エルバカンがかの有名な「大学の学長達はスカーフをした女子学生達に挨拶をするように」という小言(1995年)をした時、大学に定められていた禁止は大部分が適用されていなかった!この問題発言を「1971年3月12日軍事政権がネジメッティン・エルバカンをスイスから連れてきた」事件にも似せることが出来るだろう…つまり、この例もまたスカーフに関する論議を政治化させているのは「世俗派の影の政権」であるという真実は変えることが出来ない…
「国においては軍も含め、スカーフに関する問題は誰にも存在しない」という幻想に頼ったヒュッリイェト紙の主筆は「スカーフを、単に頭部を覆うものとして良い意味を持たせることは素晴らしい第一歩にならないだろうか?」と尋ね、真実を棚上げしようとしている。
 根本的な問いを私は発しよう:「大学の門に明日以降頭をスカーフで覆って通学してきた学生達は中に入れないのだろうか?」‐誠実である人々/禁止が解かれることを心から望む人々はこれの自由な答えを一瞬で出すだろう!

訳者註:「影の権力」とはここでは軍部を指している

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( 翻訳者:関口陽子 )
( 記事ID:12087 )