Taha Akyol コラム アメリカ アルメニア民族主義
2007年10月13日付 Milliyet 紙

 1919年にアメリカ大統領ウィルソンはトルコに様々な調査を行うことを目的とした諸団体を送り込んだ。アルメニア人虐殺の主張を、委任統治領問題を、「民族の原則」に従い、トルコに残され、トルコから切り離される地域を調査するためである…
 これらの調査団の1つはハーボルド将軍を責任者とし、専門家達によって組織されたものだった。アナトリア、コーカサス、そしてアルメニアで三ヶ月間実地調査を行った。1919年9月にスィヴァスでムスタファ・ケマルに、エルズルムではキャーズム・カラベキルとも面会した。
 ハーボルドがウィルソンに、そしてアメリカの上院に提出した長い報告書のある一部:
 「トルコは疫病や戦乱により人口の20%を失った。故郷を追われたアルメニア人達は徐々に、そして全く危険を感じることなく、故郷に戻っている。我々の調査旅行中を通して、トルコ人達がアルメニア人達を虐殺しようとする兆候は見出せなかった…三ヶ月前、アルメニア人が唯1人の生存者もいないほど殺されたと我々は聞いていた。しかし、我々が耳にしたことは全く正しくなかった。実は、私はこの虐殺問題には常に疑いと共に向き合っていた…。」
 しかし、トルコ人達を非難する報告書もある?! 
 つまり問題は議論しなければならず、「ジェノサイド」と決めつけられて、放置されることは出来ないのである。

■皆苦しんだ
 ハーボルドの報告書の別のある部分:
「アメリカがアルメニアの委任統治を承認することは凄まじい混沌に道を開くだろう…戦争で60万のトルコ人兵士がチフスで死亡し、戦争に動員された若者達の80~90%が村に戻っていない…ムスリム達はアルメニア人達よりも更に劣悪な環境で生活している。識字率はトルコ人やクルド人においても低いが、アルメニア人達も30%以下である…」(ヌルシェン・マズジュ博士著、『アメリカの南コーカサス政策としてのアルメニア問題』イスタンブル、ポジティフ出版社、2005年。)
 つまり、戦争や内戦により、ムスリム達はより多くの死亡者を出したという。その数は350万である!
 ウィルソンにより任命されたアメリカのキング‐クレイン調査隊の報告書もまた存在する。この報告に沿ってウィルソン政権はジェノサイドの主張を弱め、同時にトルコもしくはアルメニアにおいて委任統治を行うことをも拒否した。

■敵意を駆り立てること!
 もちろん、アルメニア人達が先祖から子孫に聞き伝えた苦しみに無感動でいることは人としてなすべき振る舞いではない。しかし、過去における人の苦しみを、今日報復を意図する民族主義の攻撃の道具として使うこともまた人の道に外れている。
 ムスリム達が味わった苦しみに、更に現在起こっているナゴルノ・カラバフの悲劇に西洋人達、特にアルメニア人の圧力団体の手段となったアメリカ人達が無感動でいることもまた人間性に反している。
 我々においても、共和国体制は、体験した信じがたい悲劇のトラウマと、その悲劇が作り出した精神状態を次の世代に伝えないため、歴史の本にこれら多くを書かず、「内に平和、外に平和」といった人間的で高貴な原理を受け入れた。
 しかし今、このようなジェノサイドに関する諸議案が、特に少数の戦闘的なアルメニア人圧力団体の支持を得るため、単純な国内政治の打算により用意されることはアルメニア民族主義を政治的にもより攻撃的な性格にする…我々にも忘れていた苦しみを再び復活させ、閉じた傷口を引っ掻き回すのだ!
 ペロシ女史と同意見のアメリカ人達は「ジェノサイド」を煽ることで今戦略的に重要なコーカサス地域に悪意と敵意とを煽っているのだ。アメリカ人も、このことから多くの被害をこうむるはずだ!愚行の代償は当然払わねばならないだろう!

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( 翻訳者:関口 陽子 )
( 記事ID:12146 )