Ertugrul Ozkok コラム:あの日のえりのカーネーションは・・・
2007年10月17日付 Hurriyet 紙

「トルコ軍は北イラクに入るな」と言う人は必ずクルド労働者党(PKK)の一味なのか?
民族主義者行動党(MHP)のデヴレト・バフチェリ党首は、「そうだ、PKKの一味だ」と言っている。
私は彼のこの言葉を認めない。
今日北イラクに侵攻するという決定を下すことは、非常に困難で注意を要する決定である。
1つの政権にとってこの決定を下すことは、入らないという決定を下すことよりもずっと困難だ。
ずっと大きなリスクを伴う。
だから私は、デヴレト・バフチェリのこの言葉から一切影響を受けずに、この問題を討論する必要があると考えている。
「それならあなた方はヒュッリイェトで『国境を越えて(問題の)責任を問え』という見出しを付けなかったかったのか」とおっしゃるかもしれない。
我々はそういう見出しを付けた。
それでも私はこの問題を議論する必要があると考えている。
子どもや孫の将来に関わってくるであろうこのような決定に関して、「PKKの一味というレッテルを貼られる」といった恐怖にかられて黙ったままでいてはならない。
皆さんにもこのように(議論)することをお勧めする。

* * *

バフチェリだけではない、タイイプ・エルドアン首相に対しても反論がある。
(首相は)「その代償が何であれ支払う」と言っている。
もちろん支払うことになる。
だが支払うためにはまず彼は言葉の中身を満たす必要がある。
「このこと(=越境軍事作戦)の代償とは何なのか?」
何百人、何千人もの若者を失うことなのか?
中東のいくつかの国を除く全世界との関係を断つことなのか?
必要とあればアメリカ合衆国と戦うことを覚悟することなのか?
大都市で何年にもわたってテロと向かいあうことなのか?
経済がめちゃくちゃになることなのか?
EU(加盟)の目標をあきらめることなのか?
(1人当たり年間)1万ドルというGDPの希望を50年後にとっておくことなのか?
それともこれら全てなのか?

* * *

皆の痛みや怒りが頂点に達した日にこうした問い掛けをすることは、私自身を傷つけることでもある。
私も怒りで鼻息が荒くなる。
自宅でも、全てを覚悟し、全ての代償を支払う準備のある者たちと同じ屋根の下に生活している。
こうした問いはきっと最も身近な家族でさえ激怒させるだろう。
だが私が事なかれ主義者でないことは皆さんご存知であろう。

* * *

湾岸戦争前に自分が書いたことの後をいまだに引きずっている。
それらを見たために(2003年)3月1日決議の承認が必要だと主張していた。
率直に言って、「私が正しかった」という感情は持っていない。
当時、「前線から来るであろう最初の遺体の責任をどのようにとるつもりなのか」と問われたとき、眠気が覚めた。
内なる声が「今日そのあたり(=北イラク)に入らなかったら、明日ずっとより困難な条件で入らざるを得なくなる」と言っていた。
その声は正しかった。
今、ずっと大変な条件でそこに侵攻することを話し合っている。
つまりイラク戦争が終わろうとしている時期に、我々は戦争を再び始めよういう決定を討論しているのだ。
トルコ軍は北イラクにいかなる形であれ入らないべきなのか?
国益がこれを必要としているのなら、もちろん入るべきだ。
国民皆も自らに降りかかる代償を支払う。
しかし湾岸戦争に参加することをよしとしなかったトルコ大国民議会は、今回もまた戦争になるだろうと考えて、同じだけの真剣さで事態を見守る必要がある。
その日決議の議会通過に反対した、えりにカーネーションをつけた有力政治家はいまだに議会にいる。
例えばデニズ・バイカル(共和人民党首)、例えばビュレント・アルンチ(前トルコ大国民議会議長)だ。
その日、3月1日決議の通過に大して乗り気でなかったアブドゥッラー・ギュルは、今日大統領のいすに座っている。

* * *

私も言っているのは次のことだ;「その日私にノーと言った人たちは、今日より困難な条件でそこへ入ることに対する説得力ある答えを示すべきだ」。
首相は何と言っている?代償が何であれ支払うと。
(そう言っているのは)与党だけなのか?
それとも野党、軍、市民社会組織、国民とすべてのトルコなのか?
私は、我々皆だと言っている。
そのためにはこのことをよく話し合わなければならない。
今日(当時)赤いカーネーション(をえりに付けていた)人たちの、良心と歴史的決定の人となるだろう。
今日は議会へ入る人たちのえりを注意して見るつもりだ。

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:12212 )