M.Ali Kislali コラム:抑止力としてのトルコ軍
2007年10月20日付 Radikal 紙

トルコ大国民議会が政府に北イラクへ軍隊を派遣する権限を与えると、世間の関心はトルコ軍に向けられた。
今、トルコの国益をトルコ(自身)よりも我々の方がもっともたらしているのだといった雰囲気を漂わせている勢力が、「絶対北イラクに侵攻してはならない。これまで24回入って行ったがどうなったか?あそこは泥沼だ。はまって出られなくなる」と言っている。
まるでトルコ軍が、どこまで行って、誰を標的として、どこでどれだけ滞留して、どの目標に向かわなければならないかを知らないかのように。
こうした見立てはトルコ軍がこれまで行った24回の軍事作戦から十分な教訓を得ていないという主張(をしている)ということにはならないか?こう主張する人々は、過去の軍事作戦が何の目的で行われ、また実行することからどのような利益を得たかを知りながら話をしているのだろうか?
これらの作戦に参加し、その上一部を指揮したことのある指揮官でさえ、こうした事柄について断定的なことを言える立場にあるとは思えない。なぜなら軍事作戦の計画と評価はトルコ軍の上級指揮官レベルと関わっていることから、これらは政府からその手段に適した形で送られた政治的指令によって、そのレベルで行われたことを忘れてはならない。
読者の皆さんは、私がこのコラムで何度も、国境の外から援助を受けながら一国の領土でテロ活動をする組織を打ち負かすには、この外部からの支援を絶ち切る必要があるというセオリーについて取り上げたのをご存知だろう。
これまでのスペインのETA(バスク祖国と自由)やマレーシアの共産主義者の蜂起のような歴史に残っている実例はおろか、目下アフガニスタンやイラクで続いている出来事はこのセオリーを実証してはいないだろうか?ETAはフランスでの組織作りを防いだとき、マレーシアの共産主義者は中国からの支援を絶ち切ったときにようやく問題を収拾することができた。トルコでもシリアの援助を絶ち切った後、組織(=クルド労働者党(PKK))のリーダーは捕まらなかったか?今周辺国からイラクへ、そしてアフガニスタンにも向けられた、パキスタンと都合上イランからもたらされている援助を絶ち切ることができないでいるため、それらの国々での戦闘は続いているのではないか?
このセオリーをトルコ軍も知っていた。しかしPKKが北イラクでバルザーニの支援とアメリカの黙認により組織化し、折に触れてトルコ領内に入り奇襲攻撃をすることを防げないでいた。ちょうど1984~99年の間、(PKKが)同様の支援をシリアから受けることを阻止できなかったように。
PKKに対する外部からの支援を遮断するためには、トルコがこの支援を行う国と戦争に打って出るか、あるいは戦争を行うための準備作業とトルコ軍の力とが抑止力になることが必要であった。1999年にこれが行われた。しかし公正発展党(AKP)政権の様々な政治的思惑がこのような企てを不可能にしたために、少なくとも1年間何もせず事態を傍観するしかなかった。犠牲者の葬儀が国を動かすまで。
北イラクに軍隊を送る決議が下されることも、これがいつの日か実行されることもPKKによるテロを終結させるものではない。このことを理解するのに、もう我々が「不釣合いな戦闘」と呼んだ「低密度紛争」ドクトリンを理解する必要はない。
この種の戦いが何次元であるのか、首相もチチェキ副首相もお分かりであるように見える。他の次元の分析のために国内で必要な措置がすぐに講じられ始めることを期待する。
今、イラク領内への軍事作戦の指令を政府からまだ受ける前に、トルコ軍がこのような任務を昔の経験をも生かしながらずっとより効果的に遂行するであろうということの理由を世論に周知させることは大きなメリットがある。
この、メディアによって後押しされるであろう情報伝達は、トルコ軍に持っている力をよりよく発揮させ、その抑止力を増大させるだろう。こうして政治権力は権利を守ることにおける正当で毅然とした態度を表す一方で、トルコ軍もこの権利の擁護においてどれほど人を納得させられるだけの役割を担うことになるかを示すはずだ。
他方で、北イラクで計画されている軍事作戦は、関連する決議の内容がトルコ大国民議会で読み上げられたが、秘密とされた一部の標的がいま少し明らかにされれば、トルコ軍の疑いない成功をより明白にするとともに、国内外の一部にある率直な懸念を払拭することの助けとなり、トルコ軍の抑止力を強化するはずだ。

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:12247 )