アフマディーネジャード大統領、アルメニア訪問を急遽切り上げ?
2007年10月24日付 E'temad-e Melli 紙

 「マフムード・アフマディーネジャード大統領は、アルメニア訪問を途中で切り上げた」。昨日、海外の通信社の多くがこのように伝えた。アフマディーネジャード大統領はアルメニア議会で演説した後、アルメニア人虐殺事件の記念碑を視察、同地に植樹をして、同事件の犠牲者たちに敬意を払う予定であった。しかし、同大統領はこれらの予定をこなすことなく帰国した、というのである。

 その一方で、アフマディーネジャード大統領はアルメニア訪問から帰国後、メフラーバード空港で記者らとのインタビューに応じ、「今回の訪問は22時間の予定であったが、一部の会談が長引いたため、元々の予定よりも1時間半遅れての帰国となった」と語った。

 モジタバー・サマレ=ハーシェミー大統領上級顧問も、「アルメニア訪問の際のマフムード・アフマディーネジャード大統領の予定は全て、予定通りこなされた」と請け合う。イラン国営通信の報道によると、サマレ=ハーシェミー上級顧問は、「一行は予定通り、テヘランに帰国した」と述べたという。

 海外メディアの関心の的となっているのは、アフマディーネジャード大統領がアルメニア人虐殺記念碑への視察を取りやめたことだけではなく――BBCによれば、この視察はイラン=トルコ関係に問題を引き起こしかねないものだったという――、むしろアルメニア大統領メディア担当顧問のヴィクトル・ソグマニアン氏の次のような発言だった。「アフマディーネジャード大統領はロベルト・コチャリャン・アルメニア大統領に対して、『イランで不測の事態が起きたため、急遽テヘランに戻らねばならなくなった』と語った」。

 AP通信がアルメニア在住の外交筋の話として伝えたところによると、アフマディーネジャード大統領の帰国は「国内の政治問題」、及びローマで火曜日に行われた核問題をめぐる〔ジャリーリー国家安全保障最高評議会新書記とソラナEU共通外交上級代表との〕協議と関係しているという。ロシアのイタルタス通信も、アフマディーネジャード大統領のこの突然の決定は、イランで不測の事態が起きたことと関係していると報じている。

〔中略〕

 アフマディーネジャード大統領がアルメニア訪問を途中で切り上げてテヘランに帰国したとの報道が流れていることに対して、モハンマド・ジャアファル・ベフダード氏〔イラン大統領府広報担当次官〕は、「そのような報道は正確ではない。たとえ予定が変更されたとしても、特に珍しいことでもない」と反論する。

 イラン学生通信の報道によると、同氏はこのような報道がこのような姿勢でアルメニアのメディアから流された意図については分からないとしながら、「もし何らかの意図があるのであれば、今回の訪問は予定通り問題なく行われ、訪問を途中で切り上げなければならないような特別な問題など、国内では何ら起きなかった、ということを指摘しなければならない」と語る。

 同氏はさらに続けて、次のように指摘している。「申し上げなければならないのは、我が国に危機が訪れているかのように示唆するために一部の西洋メディアが行う策動は、特に目新しいことではないということだ。この種のイスラーム共和国体制に対するプロパガンダ的な否定的煽動行為は、主に政府の成果を隠蔽する目的で行われている。我が人民は、西洋の政治筋やメディアが創り出すこのような見せかけの危機がいかなる意味をもっているのか、きちんと理解している」。

 西洋メディアはアフマディーネジャード大統領の二日間にわたるアルメニア訪問が切り上げられた理由を、イラン国内における予期せぬ事態にあったと指摘している。そのような中、アフマディーネジャード大統領は月曜日、トルコ・アルメニア両国が対立している中で、どちらか一方に与するのを避けるため、「イランは人道に対するいかなる罪をも非難する」とだけ発言している。

 アルメニア在住のイラン人とも面会

 アフマディーネジャード大統領はアルメニア訪問の中で、あらゆる分野における両国の関係拡大・深化を強調した。またアフマディーネジャード大統領訪問中、イラン・アルメニア両首脳は協力のための4つの覚書と共同声明に署名した。アフマディーネジャード大統領はまた、アルメニア訪問一日目に、エレヴァンにある国立大学で講演を行い、同大学から名誉博士号とメダルを授与された。アフマディーネジャード大統領はさらに、エレヴァンを離れる前、アルメニア在住のイラン人と面会した。

〔後略〕

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( 翻訳者:斉藤正道 )
( 記事ID:12252 )