Turker Alkan コラム:「世俗主義の崩壊」とは一体...?
2007年11月06日付 Radikal 紙

我々は大言を吐くことが大好きだ。一時期左派の人々は「資本主義の崩壊」について話題にし続けた。「歴史のごみ溜め」について好きなように語っていた。理論的に(少なくともマルクス主義の理論によれば)資本主義は崩壊しなければならなかった。しかし実際は、現実は理論に従わなかった。資本主義はしっかりとした足取りで立ち、代わりに社会主義は彼方に去ってしまった!その上(社会主義は)ひとりでに、内的なダイナミズムの結果として、もう自分の足で立っていられなくなったために崩壊した。
昔からよく言われてきたもう1つの大言がある:「西洋文明の崩壊!」だ。

これは、宗教主義者が一番よく使ってきたスローガンだ。私はこの言葉を耳にするたびに驚いて自問自答する:「おやおや、何をもって西洋文明の崩壊と言っているんだ?」と。この説を唱えている人達は私の知らないことを知っているのか、とよくよく注意して聞いてみるが、結局彼らの主張から新しいことを発見することはできない。
西洋文明崩壊の証左もまたいつも同じ事柄である:西洋の女性達が肌を露出させた、あけっぴろげな服装をしていること、西洋の生活様式で物質(お金)が重要な位置を占めていること、個人主義の台頭...
こうした批判をする人々は、イスラーム諸国においてなぜ完全な民主主義が築き上げられなかったかや、女性の権利がなぜ蹂躙されているのかに、また思想の自由が重視されていないことや、イラク、パキスタン、アフガニスタン、イラン、スーダン、ソマリア...のような国々で起こった出来事に無関心でさえいる。
西洋文明は確かに、歴史に登場した全ての文明同様、矛盾と問題をはらんだ文明である。しかしだからといって、西洋文明が崩壊しつつあるという意味にはならない。それとは正反対に、西洋文明はもしかしたら黄金期を迎えているのかもしれない。もしかしたら「西洋」文明について語るということさえすでに正しくないのかもしれない。我々の目の前にあるのはもはや「西洋」ではなく「世界」文明なのだ。その技術や学問、生活様式、芸術や価値判断、コミュニケーションと交通のネットワークにより全世界を席巻している、グローバル化した文明と我々は向き合っているのだ!
なにはさておきトルコが、EU加盟のために努力を続けている一方で、「西洋文明は破綻した!」といって大言を吐くという神経を理解することに正直私は苦労している。

最近、西洋のメディアに載ったある記事の翻訳が本紙に掲載された。記事では「21世紀は宗教の世紀になる」と書かれており、この理由として「世俗的な体制が成功していないこと」を挙げている。
「世俗的な体制が成功していないこと」とはどういう意味なのか?
この言葉と、「西洋文明は崩壊した」という説とはどのような違いがあるのか?世俗的な体制(をとる国)は、民主的であれ権威主義的であれ、大半が西洋文明の一角を成している国々である。権威主義的なものは崩壊し、民主的なものは続いている。「世俗的な体制が不成功に終わった」という説は、何に基づいて主張することができるというのか?
ある国には世俗的かどうかという点以外にもとても多くの特徴がある。その国が成功しているか否かを単に世俗主義の結果としてみることは、論理の鎖を相当無理やり繋げなければ不可能なはずだ。
この理屈によれば、世俗的である西洋諸国を不成功、世俗的でないサウジアラビアやタリバーン時代のアフガニスタン、それにイラン...を「成功した」とみなさなければならない...
現実は明らかなのに、この手の無理な見方を提示する必要性があるのか私は理解に苦しむ。
他方で、発展途上の世界が、一般的な認識やこういった主張とは逆に、世俗主義の側に傾くことを信じている。
そのことは明日のコラムでまた考えてみよう。

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:12364 )