Can DUNDARコラム 共通の敵は誰?
2007年11月06日付 Milliyet 紙

アメリカ合衆国のブッシュ大統領はエルドアン首相との会談の後、多くの期待を裏切った談話の中でバランスをとるために、ちょうどライス国務長官のように、トルコに対して「PKKは我々の共通の敵だ」と言った。
ライスの談話の二日後にアメリカ合衆国は、ちょうどエルドアンがワシントンへ飛行している間に「共通の敵」に圧力をかけ、捕虜となった兵士の解放を確保していた。
こうして、「敵」に命令できることを証明したのである。
最後に述べることを冒頭に書いておこう。
トルコ人とアメリカ人の敵は共通のものかどうか分からないが、しかし、トルコ人とクルド人の敵は共通のものである。

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昔のファイルをめくってみよう。
2002年1月21日にPKK首領委員会を代表してムスタファ・カラスがアメリカ合衆国外務省にある文書を送った。2ページからなるこの文書は、同月、中東のある国でPKKとアメリカ人の担当者の間で得られた合意をテーマにしていた。
「会談は満足できるものだった。意見が一致している」と述べられ、次の約束が出されていた。
「PKKはアメリカ合衆国と総ての領域で協力する。」

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文書において協力のためになされることは9カ条で並べられていた。
1.PKKはアメリカ合衆国のイラクへの介入を全面的に支援する。
2.PKKは地域において民主主義の発展のために協力する。
3.クルド人の中央及び地方行政への参画、イラクにおいてクルド人の連邦ステータスの承認、クルド問題の4者の相互関係のもとでの解決がなされると、協力がしやすくなる。
4.クルド人同士の統一のためにPKKは名前の変更も含めて新たな取り組みを始める。
5.クルド人同士の連携のためにアメリカ合衆国が努力する。
6.PKKの国際的な活動に対する制限が緩和される。
7.オジャランの状況が改善され、死刑が廃止される。
8.アメリカ合衆国はHADEPが弾圧されないよう配慮する。
9.アメリカ合衆国との会談は、北イラクで代表団との間で継続される。

***

この文書はとても重要な資料だった。
ミッリイェト紙のナームク・ドゥルカン記者が北イラクで入手したものだった。
私は2003年1月18日および19日にこのコラムで取りあげた。
また、最後の条項で代表団との継続が求められた会談のうちの一回の写真も、このコラムに掲載された。
当時のアメリカ大使ロバート・ピアーソンはあの写真入りのミッリイェト紙をもってテレビに現れ、「これはいやな嘘だ!」と叫んだのだった。
あの日から今日までほぼ5年経った。
上記の9カ条を読んで、判断してください。
PKKはイラクの占領においてアメリカ合衆国を全面的に支援した。
名前を変えた。
国際的な活動が楽になった。
バルザーニとの抗争は終えた。アメリカ合衆国の仲介でクルド人の諸組織の間で協力関係が築かれた。
アメリカ合衆国との会談が北イラクで継続された。
その間にトルコで死刑が廃止された。
クルド人の自治行政や議会での代表機会が広げられた。

***

つまり、「2002年1月の合意」における多くの条項が5年間の間に実現されている。
アメリカ合衆国がこれほど接近したPKKを今「敵」として発表したことが説得性があるのか?
トルコは昨日、中東のチーフ・トレーナーにある選手の文句を言った。チーフ・トレーナーは、選手に注意を促して、テンションを下げようと、トルコを安心させようと努めている。
しかし、今後ゲームが崩れたら「大きいお兄さん」が役に立たない選手を全く躊躇せずに売ることを私たちは歴史から知っている。
だから言ったのだ。
トルコ人とアメリカ人の共通の敵ははっきりしない、しかしトルコ人とクルド人の共通の敵は明白である。

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( 翻訳者:イナン・オネル )
( 記事ID:12379 )