民主市民党、ディヤルバクルでの決定事項、アンカラで実施へ
2007年11月09日付 Milliyet 紙

ディヤルバクルで10月26日から28日まで行われた民主市民党・党大会でタカ派の影響を受け下された決定が、昨日アンカラで行われた民主市民党(DTP)の第2回臨時会議で施行されることとなった。DTP会議はパルク・ホテルで行われた。アンカラでの会議は、テロ組織のリーダー、アブドゥッラー・オジャランが「クルド人のリーダー」であるとして明記されたディヤルバクル会議と並行して、「唯一の党首候補」という状況の中で行われた。そして「民主的な自治」への要求を含んだ政治姿勢概要が党の綱領に入れられた。

■第3回投票で選出

ディヤルバクル会議でだされたコミュニケを皆の前で発表し、また唯一の党首候補であったヌレッティン・デミルタシュは、第3回投票でDTPの党首に選ばれた。会議には878名の代表のうち456名が参加した。

投票に先立ち、議長からは「党首が1回目の投票で選出されるには過半数の440票が必要だ。代表はホテルの外に出ないでください」とのアナウンスがあった。それにもかかわらず、投票に参加した代表は433名だった。党紀に従い行われた第2回目投票は形だけのものとなり、14名の代表しか投票しなかった。代表らの大多数はホテルを抜け出ていたため、第3回投票では234名の代表が投票を行った。デミルタシュは、第3回投票ですべての票を獲得し、党首に選ばれた。

■オジャランはDTPの 執行部に

テロリスト、アブドゥッラー・オジャランの兄弟メフメト・オジャランは、282票を獲得し、DTPの党執行部会議のメンバーに17番目に入った。党執行部会議メンバー選出の途中経過では、副党首選出が見込まれているエミネ・アイナは390票で最多得票となった。

アイナに次いで得票が多かったのは、セバハット・トゥンジェル、ペルヴィン・ブルダン、セルマ・ウルマック、セラハッティン・デミルタシュ、アイセル・トゥールック、オルハン・ミルオール、ファトマ・クルトゥラン、オスマン・オズチェリキ、セヴァヒル・バユンドゥル、アフメト・チュルクだった。DTP所属の国会議員のうち党執行部会議メンバーに加わったのは19名であるのに対し、同じく国会議員であるアクン・ビルダルはメンバー入りを拒否した。開会の辞でデミルタシュは「長年の間、クルド人に対しては、同化と抹殺に向けた強硬政策がとられてきた」と述べ、本紙に掲載された退役大将らの説明に言及し「退役した大将たちでさえ今日過ちを告白している」と述べた。

■ブルガリア・モデル

デミルタシュは、クルド労働者党(PKK)が誘拐した8名の兵隊が、DTPの「民主的かつ人道的努力」により解放された問題で、彼らに向けられた非難にたいし「ここまで人間性が失われているとは・・・」との表現を用いた。

デミルタシュは、ブルガリアで生活するトルコ人に与えられている政治的権利をトルコもモデルとして取り入れるべきであると提唱し、「ブルガリアではトルコ人に権利を与えることで問題が解決された。私たちも民主的な自治と憲法によってこの問題を解決したい」と話した。また、DTPを標的にし、原理主義者らの攻撃を誘発したとしてエルドアン首相を非難し、首相が発言するたびにDTPの建物が攻撃されたことを強調した。

デミルタシュは、「私たちは議会でも、信じられないほどの攻撃に遭っている。このように(私たちを)追い立てて、結果がどうなるのか、誰が被害を受けるのかは誰にもわからない」と話した。
DTPのセルマ・ウルマック副党首も「一つの国旗、一つの国民、一つの祖国という姿勢が私たちを対立へと導いているのだ。多元的国家の政策を基本とすべきだ。解決策は、民主的な自治にある」と話した。

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( 翻訳者:倉本さをり )
( 記事ID:12399 )