Turker Alkan コラム:環の時間、線の時間―昔の暮らしと今の暮らし
2007年11月18日付 Radikal 紙

時間をどう使うかということは、そもそもどう生きるか[暮らすか]ということに関わるものだ。若者の多くは、「パソコンや『i-Pod』やテレビ[登場]以前の生活なんてものはあるのだろうか」という問いの答えを気にしている。

ええ、そんな道具が無くたって生活はあります!毎日が楽しみに溢れた生活さえもがね。

先頃、黒海地方のある村が電気を引くのを拒絶した。「電気が通じればテレビもパソコンもやってくるけれど、[そうなると]人間味のある関わり合いが減ってしまう」と恐れたためだ!ことの成り行きをとくと見ていたわけではないのだが、本音を言えば、電気を引きたいと願う人々が最終的に勝利を収めても、私は少しも驚いたりはしない。

「文明とは、それに疎い人々やものを焼く炎である」とアタテュルクは述べたのだった。たとえ焼かずとも、[文明が彼らを]轢き潰して過ぎ去っていくことは疑いようがない。

電化製品が我々の生活に入り込むようになって以来、我々の生活様式は急速に変化している。そして変化のテンポもこの上なく速まっている。かつて数十年を要した変化は、今では数年で現実のものとなる。皆さんからまさに「貴方はどんな風に暮らしてきたのですか」と問われたら、私は、電化製品など言うに及ばず、電気そのものがない世界に暮らしたのです[とお答えする]。

子供としての我々の世代にとっての最大の楽しみは、自然だった。ヤギやら、[雌]ウシやら、昆虫やら、花やら、ありんこやら・・・果てしなく謎に満ちた世界だ。

もしもあの頃にテレビやパソコンがあったなら、私は、自然にはそっぽを向いて、画面の魔力のとりこになっていただろうか?これについては疑われるべくもない[なっていただろう]。但し、電気のない環境で過ごした日々が全く無為に過ぎていった日々だと私は思っていない。反対に、自然に慣れ親しむことには、それに特有の、他の何にもかえがたい味があったのだ。

今の暮らしと昔の暮らしの最大の違いは、時間の捉えかたにある。昔の暮らしには、都市であれ、村であれ、ゆったりと過ぎ行く時間があった。[詩人]アフメト・ハーシムの「ゆっくりと行くがいい この階段から」という詩行にあるとおりだ。木陰でゆるりとチャイをすすり、おなじ話を100回も繰り返し、しかしまるで初耳でもあるかのように大笑いするものだった。

時間はまっすぐ伸びた一本の線上を過去から未来へと進んでいく存在ではなかったかのようだ。むしろ、ひとつの環の上の全くおなじ点を通ってはそれを繰り返すような存在だった。

この環状の時間という感覚を、映画において私たちは覚えたものだった。夏には色々な映画が上映され、木や花に[スクリーンが]架けられた。このような映画のうちでもっとも多く上映された作品の中には「バイテキン」というヒーロー(このごろのスーパーマンのような奴ですが)の宇宙冒険シリーズがあった。しかし「全32部が一度に」上映されるこのシリーズ映画では、いくつもの同じシーンが何度も何度も登場するのだった。特に、喧嘩のシーンや追いつ追われつのシーンが[同じシーンの繰り返しだった]!まるで、木陰で何度も何度も語っては笑った話のように!

あの当時のトルコ映画で、同じ物語を何度も繰り返して描いているのをご覧になったことはないだろうか?

街の通りを馬車に色々な映画ポスターを掲げて駆けていく若者は力の限り叫んだものだ。「今晩、ギュネシュ・シネマにて・・・ある家族の悲劇ぃぃ・・・。」誰もが知っている裕福な息子と貧しい娘の物語。何百回となく我々が観たやつだ。

どうして昔は「時間」の概念が環状だったのかといえば?私が思うに、我々の社会が、変化があまりそれと意識されないような農業的な社会だったからだろう。繰り返される季節と季節に従った活動とが、人々に時間を環状のものだと認識させる、というのは納得できる話に違いない。

今はといえば、誰も後を振り返ることができるような状況ではなくなってしまった。

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:12469 )