サッダーム・フサイン死刑執行(アル・アハラーム紙)
2006年12月31日付 Al-Ahram 紙
■ 犠牲祭当日の未明に執行されたサッダームの絞首刑は、スンナ派に憤慨を、シーア派に喜びをもたらした
■ 刑の執行は25分間、サッダームは執行人と激しく口論
■ サッダームは目隠しを拒否したが、その後おとなしく従った
2006年12月31日付アル・アハラーム紙(エジプト)HP1面
イード・アル=アドハー[※犠牲祭]初日の未明、イラク政府はアメリカ側との合意のもと、大統領職を剥奪されたサッダーム・フサインの絞首刑を性急に執行することを決定した。1982年ドゥジャイル村におけるシーア派村人148人の殺害に関し、イラク裁判所が下した有罪判決からわずか55日後の決定であった。
死刑執行は昨日未明五時半に、バグダード市内カーズィミーヤ地区のかつてのイラク諜報機関の建物で行われた。処刑は25分間を要し、立会人はイラク政府と検察の代表者、裁判官の他、米軍連絡将校、医者、スンナ派宗教者のわずか20人だった。
25年以上にわたりイラクを支配してきたサッダーム・フサインは落ち着いた様子で、処刑室へと連行される間、両手を縛られたままおとなしく従った。黒いスーツを身につけ手にはクルアーンを持っていた。
その功罪をめぐる議論がいまだ決着を見ていないサッダーム・フサインは、覆面をした執行人と激しい言い争いを交わした。当初は頭に覆いをかけることも拒否したが、その後従った。
首に縄を掛けられる前のサッダームの最後の言葉は、「アッラーフ・アクバル[※神は偉大なり]…イスラーム共同体とアラブのパレスティナ万歳」であった。続いて信仰告白の言葉[※アッラーのほかに神なし、ムハンマドは神の使者なり]を二度唱えた。執行人が処刑台へと彼の腕を引く前に、サッダームはイラク国民に対して、占領からの独立と抵抗を呼びかけた。その直後、足元の扉が開かれ、50cm下へと体が落下、首が折れる音が聞こえ、血が縄の上をつたった。医師が死亡を確認するまでの約10分間、サッダームの遺体はそのまま絞首台の上に残されていた。
犠牲祭当日に行われたサッダームの処刑は、イラクのスンナ派に苛立ちと怒りをもたらした。サッダームの故郷があるティクリートでは全域に外出禁止令が布かれた。一方シーア派にとってはこの処刑は犠牲祭の前日にあたり、バクダードの郊外やイラク南部のクーファやナジャフでは歌を歌い、発砲するなどして喜びを表した。
(後略)
現地の新聞はこちらから
( 翻訳者:武渕史 )
( 記事ID:4327 )