Erdal SAĞLAMコラム:フラント・ディンク殺害事件と市場経済
2007年01月22日付 Hurriyet 紙

■いつか来た道をまた歩く我々

 また若い殺人者、また社会に騒乱を巻き起こす殺人、また社会的不安の結実たる殺人、また治安の脆弱さ、また政治家による同じ声明…。

 みなさんは、「しかし今度は民主主義が発展し、経済が成長し、市場経済が定着しており、より敏感な市場があるではないか」と考えようとしていることだろう。しかしよく見てほしい。金曜日(1月19日)の、つまり殺人のあった日に市場で起きたことを。前日までと何ら変わりのなかった市場を。

 わかりきったところからわかりきった反応があがって、わかりきったシナリオが現われる。そもそもこうしたことは予想されていた。

 しかし、街やカフェでのおしゃべりとなると、たいていは「もちろん彼だって一人の人間だ。人間が虐殺されるなどということがあっていいのか。アッラーが与えた命はアッラーのみ取ることができる。殺人などありえないことだ」と言うだろう。しかしそう話したそばから「しかし彼はずいぶんと反感を買っていた。そうありえない話でもないな」などと付け加えたりするだろう。

 人間であることにかけては同一視するが、もはや反動的にならざるをえない普遍的価値とはこういうものなのだろうか? 「多数派はいつもそうだ」などと言って問題から目をそらすのは解決になるだろうか。

 一般の人々はこんな状態だが、知識人層に含まれるべき市場関係者たちは異なる考えを持っているだろうか。そんな敏感さはあるだろうか。

 何よりもまず言わねばならないのは、フラント・ディンクは一人の「人間」だったということだ。そしてまた同時に彼は、一般の人とは異なる、つまりより厳重な警備を必要とする人だったのである。なぜなら「彼は多数派にとっても将来の物質的・精神的福祉を向上させる」活動家であり、現状維持を打倒し改革をすすめる原動力となるべき「知識人」たる人間だったのだから。

 前進を可能にする異なった思想や異なる視点からの見解を持つことができ、向上し続けるこの異なる思想を現状維持勢力に対抗して防衛し、周囲の人々との関係悪化を恐れずに自分の見解を守り続ける、「勇気ある強い」人間なのである。

 フラント・ディンクは、祖国への愛を常に語り、その証拠としてこの地に「骨を埋める」ことを強く望み、古くからの左派として最大の罪を人種主義と考え、なによりもそのためにトルコ人であることを侮辱できないと明確に口にし、この汚名を雪ぐために国際法廷に行き、この国で生きるためにやむを得ずそうした方法に出たと非常にはっきりと話す人だった。ただ話すだけでなく、恐れずにこうしたことを書き表しもしていた。彼は「公的機関」で受けた脅迫も記事に書き、思想の自由の象徴となったジャーナリストなのだ。

そしてこのような「人間」を国はどうしたか。守ることもできないまま、殺害されるにまかせたのである。

■圧力の一体性
今こそ、経済や市場の関係者、経済関係の官僚、閣僚、その他あらゆる関係者に次のことを言っておかねばならない。あなた方の存在の基本であるこの市場は、こうした人々の闘争や、異なる思想を勇気をもって守ることによって成り立っているのを忘れるな。市場経済、つまりあなた方にそのお金を稼がせ、現在の地位を与えたシステムは、直接的に民主主義や普遍的価値によって成り立っているのだ。

このシステムを何よりもまず崩壊させないこと、そして前進させ、発展させ、全ての人々の福祉を増大させることは、民主主義の防衛や民主主義の欠くべからざる要素を思想の自由によって守り、これらを守る人々の生存を保障することによって可能となるのである。

ディンク殺害事件だけではない。全体として「圧迫体制」の中に我々は生きているのではないだろうか。様々な制服を用いて異なる思想を守ることを妨げようとする極右や狂信主義的な姿勢、あなたを物質的・精神的な懲罰で脅し、技術的な見解ですらはっきりと口に出せないようにする空気を作り出すような姿勢、企業に特別な懲罰を与えることであらゆる経済主体に対する批判を思いとどまらせるような姿勢、登録外のものは廃止させるなどと言いつつ、無登録者を党利的な特別待遇によって甘やかして、システムの構築を避けようとする姿勢、数字を明らかにすることを避け、書面上の操作で切り抜けようとする姿勢、地域の新聞が批判記事を載せたといって編集局や市民社会団体の代表に「身辺を調べてやる」などと脅しつけるような姿勢、身近な人間に入札で便宜を図るような姿勢、そして新聞やジャーナリストにあらゆる圧迫を加えるような姿勢は、ディンクを殺したものとそう大きく違うものではあるまい。

ディンク殺害事件に無感覚な人々、そしてその名前やイデオロギー・党派が何であれ、圧迫を加え続ける者に対し抵抗せず沈黙するばかりの人々は、一度考えてみるべきだ。ディンク殺害事件、民主主義、市場経済、人間であること、これらは全て一体のものだと。


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( 翻訳者:宇野陽子 )
( 記事ID:4427 )