Hikmet Bila コラム:彼らは「人間」と言う
2008年01月13日付 Cumhuriyet 紙

「アレヴィー派と集合イフタール」プロジェクトはうまくいかなかった。
そもそもうまくいかないことが明らかだった。
1400年間の残虐を経験し、疎外され、騙され尽くして成熟したアレヴィー社会が「政府との食事」ひとつで服従するとは想定不可能だった。
残虐や虐殺でも全滅せず、服従を受け入れなかったアレヴィー派を政治権力につなぎ合わせるためにウマイヤ朝においても、アッバース朝においても、セルジューク朝においても、オスマン朝においても沢山の企みがあった。だが、アレヴィー派は弾圧されても、追放されても、スルタンやカリフやパーディシャーフの言いなりになることを拒んできた。
なぜなら、アレヴィー派は高明で進歩的で平等主義者のみならず、同時に高貴だったからだ。

彼らにはプライドがあったからだ。

彼らは政治権力から絶対に施しを求めなかった、期待しなかった。彼らが求めたのは国家の平等な一構成員であることだった。国家があるあるひとつの宗教や、ある人種、またはある宗派の手に人質とされることを彼らは認めなかった。国家がすべての宗教、宗派、信仰形態に対して同等の距離を保つことを彼らは望んできた。

彼らは自由主義者だった。

カリフやスルタンやパーディシャーフの下僕・奴隷になることを拒否してきたアレヴィー派の人々が、解放戦争や共和国革命に有志で参加してきたことだけでも彼らのこの特徴を(そして美しさを)示している。

***

この集合イフタールにひとつの貢献があったとするならば、それは分散し、相互に不和まできたしているアレヴィー派諸団体を目覚めさせ、一緒に行動させたことと言える。298団体のうち293団体が集合イフタールへの参加を拒否したことがこの現実を示しているではないか。

「集合イフタール」に対する「集合反射」

政府は宗教に関する業務をスンナー派だけのために行ってきている。宗務庁に割かれた巨大な予算からアレヴィー派に対して1リラも使われていない。数万人が勤めている宗務庁にアレヴィー派の人が一人もいない。ジェムエヴィ(訳注:ジェムはアレヴィー派の宗教行事で、ジェムエヴィはそれを行う空間)を礼拝所として認めず、ジェムエヴィを開堂することはおろか、様々な手段で邪魔している。宗教という名の授業でアレヴィー派の子供たちに、若者たちにただスンナー派の教義のみを教えてきている。アレヴィー派の村にモスクを建設させ、イマームを派遣している。

こんなことをしながら、「アレヴィー派について新しい展開をするから、さあ、皆でイフタールの食事を食べよう」と呼びかける。
アレヴィー派が喪に服している時にこのような食事ができないと知りつつ。

***

アレヴィー派の方々が政府与党や仲介者に言った次の言葉が間違っているだろうか:
「アレヴィー派について新展開というのなら、アーシューラーの日にジェメヴィに行って、アレヴィー派・スンナー派のわけ隔てなくアーシューラーを分かち合い、アレヴィー派の人々の諸問題をその場で聞けば良いではないか。五つ星のホテルで、あわてて、喪に服す日をショーにしてしまっては新展開ができない。」
「アレヴィー派の人々の諸問題」という表現に気付いただろうか。
「アレヴィー問題」ではない、「アレヴィー派の諸問題」だ。
分離的な連想を起こす表現でさえアレヴィー派の人々のアプローチの中に存在しない。なぜなら、彼らは自分たちだけのために何かを求めているのではない。皆のために、平等で自由で人間的な生活を求めているのである。

彼らは「人間」と言っている、「人間」。

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( 翻訳者:イナン・オネル )
( 記事ID:12877 )