スカーフを被った社会学者はなぜTRTに出演してはいけないというのか
2008年01月28日付 Zaman 紙

■ある読者からの投稿

金曜日(1/25)の夜、私はトルコ国営放送1(TRT1)のテレビ番組、「エニネ・ボユナ(訳注:完全に、の意)」を見た。ナズル・ウルジャク氏、社会学者で作家のファトマ・カラビュユク・バルバロスオール氏、社会学者のトゥリン・ブミン氏、共和国女性協会のファトマ・チョバン氏などが名を連ねた番組の中で、最近熱を帯びている「スカーフ」問題がハイレベルで議論された。

ファトマ・カラビュユク・バルバロスオール氏は、スカーフ着用の社会学者・作家として、とても冷静に、深みのある分析を行った。私は以前にも彼女をNTVで見た。昨日(1/27)の朝刊を目にした時驚いたことには、およそ全ての新聞の大見出しに、エルゲネコンのメンバーが逮捕されたと掲載されていた一方で、アクシャム紙は「スカーフがまずTRTに侵入」という見出しを載せた。紙面によると、スカーフをした作家を出演させたTRTに抗議の電話が鳴り響いたということだった。私には、アクシャム紙の報道はかなり誇張されていて、意図的であったように思えた。スカーフをした知識人(もちろん、スカーフをしている人でも知識人になり得る)が、どうしてTRTに出ないでほしいのか、出てはいけないのか、どうして彼女に発言権がないのか?この抗議のような反対意見を擁護することは、人権(の概念)にも、現代性にも当てはまらない。服や身なりというものは、世界の見解がどのようであろうとも、社会生活に関連した問題であって、この国で暮らす全員が発言権を有さなければならない。TRTで話した女性は、有名な作家であり、社会学博士でもある。どうして彼女の見解が有益でないだろうか。TRTは、この国の全土を網羅する、我々全員の税金で運営されている組織ではないのか?アクシャム紙の自由な社風は、猥褻サイトが閉鎖されることに反対を表明し、「ポルノが必要だ」という見出しでコラム記事を出すのに、どうしてスカーフのことを話題にしないのか?自由で、ハイレベルな討論番組が放送されたことに対して、TRTに感謝する。
セヴァル カヤ (イスタンブル)

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( 翻訳者:山本裕一 )
( 記事ID:12997 )