レバノンでファールス通信記者が殉教
2008年01月30日付 Iran 紙

 ファールス通信ベイルート支局のムスタファー・アムハズ記者が、最近ベイルート南部の郊外で起きた事件(※1)により殉教した。

 アムハズ記者は、暴動が起きたマール・ミーハーイール交差点の取材に従事していたところ、アイヌッ・ルンマーナ地区の建物にいたスナイパーらが放った銃弾が直撃し、殉教した。(※2)

 この地区は、サミール・ジャアジャア指揮下の「レバノン軍団」(※3)の支配・保護下にある。

 アムハズ記者は32歳、妻と2人の子供がいた。1367年(西暦1988/9年)から現在に至るまでレバノンのヒズブッラー党員であった。



※1:27日、長期間の停電に抗議するデモ隊と鎮圧にあたった治安当局側が衝突し、約9人が死亡した事件を指す。

※2:デモ隊に発砲したのは国軍とされる一方で、国内情勢悪化を狙う政権側民兵組織が行ったという見方もある。また別の報道によると、アムハズ氏自身もレバノン・ヒズブッラーの一員として、射殺当時(取材というよりはむしろ)デモに参加していたという。

※3:「レバノン軍団」は、レバノン内戦中はキリスト教右派の民兵組織として、内戦終了後は政党として活動している民兵/政治組織。シリア軍がレバノンに駐留していた時代には、この組織は非合法化され、指導者サミール・ジャアジャアも投獄されていたが、シリアの影響力が減退したことで、同組織は「合法的な政党」としてレバノン政界に復帰、サミール・ジャアジャアも2006年に釈放されている。

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( 翻訳者:中根敦 )
( 記事ID:13023 )