アフマド・ブールガーニー、永遠の世界へ旅立つ
2008年02月03日付 E'temad-e Melli 紙


 アフマド・ブールガーニー・ファラーハーニーが心不全のために亡くなった。同氏は昨日午後、事務所にいたところ心臓発作に見舞われ、テヘラン中心部の病院で息を引き取った。

 ブールガーニーは1338年〔1959年〕にテヘランで生まれた。彼は記者として、報道関係の仕事に就き、イラン・イスラーム共和国通信(IRNA)の編集長や局長を歴任、その後戦争宣伝部の報道官となった。

 ブールガーニーはその後、IRNAのニューヨーク国連支局の支局長を務め、さらにモハージェラーニーの下で、文化イスラーム指導省出版担当次官となった。彼がこのポストに就いた時代は、改革時代の最初の数年間にあたり、出版活動が最も華やかだった時期であった。〔※1〕

 ブールガーニーは第6期国会でテヘラン選出の国会議員となり、国会運営団の一員として活躍した。彼はまた、多くの新聞や出版社、特にネイ出版〔※2〕の活動に協力した。彼は最近では、セイエド・モハンマド・ハータミーが主催する「文明間の対話国際センター」とも関係をもち、「イラン:立憲革命から100年」シンポジウムのオーガナイザーの一人でもあった。ブールガーニーは近年、自著『美しい散文』〔?〕の中で、文学批評も行っていた。

 心臓疾患に苦しめられていた彼は、以前にもこの病気が原因で入院したことがある。ブールガーニーは文化的に寛容で、誰からも愛される人物であり、イランのジャーナリズムの指導者に一人でもあった。彼は旅人となって、自らの名声と素晴らしき影響を置き土産として残すこととなった。



※1:モハージェラーニーは第一次ハータミー政権下で一時、文化イスラーム指導相を務め、出版や報道の自由が飛躍的に発展した。しかし保守派が過半数を有していた当時の第5期国会はモハージェラーニーに対する非難を強め、同氏は辞任。その後改革派系紙の発行停止が相次いだ。ブールガーニーは言論の自由化を促進した人物として、尊敬を集める存在だった。

※2:ネイ出版は政治改革や民主化などをテーマとした書籍を多く出版したことで有名。

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( 翻訳者:斉藤正道 )
( 記事ID:13062 )