Taha Akyol コラム:変化よ、何処へ?
2008年02月22日付 Milliyet 紙

ハルク・シャーヒン(ラディカル紙のコラムニスト)はメディア業界において、読み、考え、より重要なことには観察し分析することができる尊敬すべき人たちの一人である。シャーヒンの最新刊は『リベラリスト、ナショナリスト、イスラミスト、そしてその他』というタイトルである。我々の友人デヴリム・セヴィマイが行った「問答」に因んでいる。
シャーヒンが描く構図には「リベラリスト」も「イスラミスト」も「ナショナリスト」もいる・・・。しかしシャーヒン自身これらのどれとも重なり合うことがないため、自分を「その他」の中に見ている。
この本を社会学的な「データ」として見ていると、次のような図が見えてくる。

■我々の思想界は多様化していた。かつては「一元的思考のトルコ」であり、1960年代、70年代の「二元的思考のトルコ」を経て、今や「多元的思考のトルコ」が形成されている。
■共和国の初めの半世紀において無視されてきたリベラルな知識人たちが、ここ30年で、知的世界でも政界でも重要な要素となってきたのである。
■この4者の図には「左派」が見られないことが重要である。間違いなく左派はいる。しかし、トルコに影響力を及ぼすことなどやめてもらいたい、左派は共和人民党をすら、残念ながら社会民主主義的な政党に転換させることができなかった。

■変化を把握すること
間違いなくこの種の分類はあまりに一般的であり、異議が唱えられる可能性はある。しかし次のことは決定的である。変容するトルコと世界において、既に古い精神構造は崩壊し、様々な解釈、思想潮流が形成されている。ハルク・シャーヒンは1990年代にジュムフリイェト紙で起きた論争を説明し、「変化」という要素の役割を非常に上手に示している。
「私は再びどっちつかずになっていた。アタテュルクに大いなる敬意を払っていたのに、『共和国の護持者』と呼びうる人々が新しい世界を理解しそれを変えるときに、極めて深刻な問題に直面していると私は感じ始めたのだった・・・」

シャーヒンは他方で、1990年代初頭に著名なリベラル思想家であるジョン・キーン(John Kean)が、イスタンブル広域市のゲストとして行った「公的領域」というテーマの討論会の様子を、次のように説明している:会場は満席で、イスラミストがおり、頭髪を覆わない、あるいは覆った女性たちがおり、リベラリストがいる・・・。しかし、「左派は誰一人としておらず、ナショナリストも同様にきていない」。
これこそまさに知的イニシアティブが零落した姿である・・・。

■多様化する思想
これほど都市化し、教育水準が上昇し、世界に開かれ、市場経済が発達したトルコの精神世界を、かつての構造の内で維持することは可能だったろうか?
リベラリストのイニシアティブが勝利したことの根底には、この社会学的な動態がある。
この変化の動態を「理解しようとしたときに問題(困難)に直面した人々」は、怒りと恐れにより防御壁の中に隠れ、完全にイニシアティブを失っているのである。

イスラミストはというと、かつての「出っ歯で腹が出た」という古臭い風刺画とは反対に、知識人、学者、テクノクラート、ビジネスマンを輩出している。
しかしシャーヒンはイスラミストを次のように懐疑的に見ている。
「シャリーアによる支配を宗教的義務とみなすイデオロギーであることに、皆、疑惑を持っている。欧州におけるコミュニストのように・・・」

この問題でシャーヒンは、イスラミストにおける様々な変化を示す「社会学的」データよりも、「イデオロギー」の基本的な一般化をしたと私は考えている。間違いなくイスラミストの中にはこうした部分はあるが、次第に数を増す多数派の願いとは、除外されず侮辱されず、リベラル民主主義の中で「保守派」として生きることである。
トルコを「多元的思考」にした社会学的な動態は、主要な潮流においても様々な傾向の出現を可能にした。変化の第一の点は「多元的社会」である。民主主義、世俗主義双方が真に約束するのがこれなのである。

Tweet
シェア


現地の新聞はこちら

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:13196 )