イラン大統領、バグダードを訪問
2008年03月02日付 Jam-e Jam 紙

【政治部】8年間のイランイラク戦争、数々の紛争そして危機といった苦々しい記録が綴られた手帳は今日、大統領のバグダード訪問によって閉じられる。

アフマディーネジャード大統領は、この訪問がイラン・イラク関係における新たな章の始まりとなるだろうと述べた上で、「両国は友好関係にあり、政治的・文化的・経済的協力の拡大が必要である」と宣言した。

大統領は、イランがイラクの治安維持を自国の治安維持と同じように考えていると強調した上で、この地域の国家が互いに友好的であるとして、次のように述べた。「イラクは遅かれ早かれ数々の出来事を乗り越え、あらゆる困難を解決するだろう。このような状況において、この困難な時代にイラク国民の側に付かなかった国々は後悔するであろう。なぜなら、友好の度合いは困難の中で評価されるからである。」

アフマディーネジャード大統領のイラク訪問は、イスラーム革命後、イランからイラクへの初めての大統領訪問となる。

過去80年間にわたり、両国は常に反目し合ってきており、両国政府の関係は膠着状態にあった。過去に目を向けると、イランとイラクがこの地域の経済大国として常に世界の大国に注目されており、植民地主義列強がこの地域における自らの利益を考慮し、脅威を中和するためのテコとして、イランとイラク両国を互いに対立させる形で利用しようと努めてきたことがわかる。

イラクが旧ソ連と軍事協力協定に調印した西暦1970年代、アメリカは時のイラン政府の力をイラクの脅威や地域における左派運動の拡大に対抗させようと、イラン政府への効果的な援助を試みた。

こうした中で、イスラーム革命が起こりイランがアメリカの同盟国リストから外れ、ソ連やその同盟国との同盟にも無関心さを示すと、ペルシア湾地域における力の均衡が乱れるのを恐れたアメリカ政府は、59年シャフリーヴァル月〔西暦1980年9月〕、イラン・イラク戦争を煽り、自らに従おうとしない地域の二大国を互いに対立させて利用しようとした。

イラン・イラク戦争は8年後、サッダーム〔サダム・フセイン元大統領〕が化学兵器やミサイルなどの恐ろしい兵器を手に入れ、地域における力の均衡を自らの利益のために乱して、終了した。

しかしイラクのクウェート侵攻後、アメリカは自らの植民地主義政策を転換し、軍隊を地域へ派遣、クウェートを解放して、イラクの産業・軍事力の大部分を破壊してしまうのであった。

〔後略〕

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( 翻訳者:佐藤成実 )
( 記事ID:13272 )