Besir Ayvazoglu コラム:120名のヴァン出身少年たちの悲劇――映画『120』批評
2008年03月06日付 Zaman 紙

どうやら、真冬に徒歩で前線に弾薬を届けた12~17歳の120名のヴァン出身の少年たちの物語は実話らしい。ましてヴァンにはこれらの少年たち記念して建てられた碑さえあるのだという!正直なところ、私はオズハン・エレンの想像力が産み出した話だとばかり思っていた。

サルカムシュの悲劇について特別な思い入れを持ち、またサルカムシュ地方の民謡の作曲家でもあるオズハン・エレンは、自身の初脚本、初監督の試みとして、大いに奮い立ってこの悲劇をとりあげたそうである!結果は?このような話を真正面から率直に描くために必要な予算も技術的自由度も無かったのだけれど、にもかかわらず、違和感を覚えることなく観ていられるような、そしてより重要なのは、観る者に[個人の]深いところに印象を残すような映画が生まれたのだ。その映画の名は『120』。

[映画の中で]私たちは1914年7月のヴァンにいる。バルカン戦争の傷を癒そうと苦心する人々は、僅かな平穏な期間ののち、経験不足で向こう見ずな統一と進歩委員会がやみくもに下した決断のために、自分たちが第一次世界大戦の真っ只中にいることに気付く。そして、ロシア軍はエルズルムを目指し進撃する。この機会に乗じて[アルメニア系組織]ダシュナクの戦闘員たちは大規模な反乱の準備を進めていた。この危機的状況にもかかわらず、ヴァンに駐屯する憲兵師団は本部からの司令によって、カフカス戦線でロシア軍と交戦するために[ヴァンの]街を離れざるをえなくなる。サルカムシュでは、大いなる悲劇という結果に終わる生死を賭けた戦いの火ぶたが切って落とされ、程なくしてキャーミル・パシャ指揮下のヴァン憲兵師団の弾薬は底をついたのだった。ヴァンにはある程度の弾薬が残されていたのだが、しかし武器を手に取れるものは皆が徴兵されていたので、これらの弾薬を前線へ届けることは不可能だった。街には年寄りと女性と子供、そして彼らをダシュナク戦闘員から守るために残されたちっぽけな憲兵部隊がひとつ駐屯するばかりだった。

太守と街の首脳たちは、長い議論の末、内心では血の涙を流しつつ、年の頃12~17の少年たちに弾薬を運ばせることを決断する。この危険に満ちた任務を何らためらうことなく承諾した120名の少年たちは、各々の支度を済ませたのち、1915年1月、人の血も凍るような寒気をものともせずに弾薬を背負って雪山に向けて歩き始める。彼らの先頭には熟練の元兵士ムーサー・チャヴシュの姿があった。そして太守によって彼らの身を守るようにと任命された数名の憲兵・・・。道中、ダシュナク戦闘員に襲撃された120名の少年たちは、たとえ前線へとうまくたどり着けても、帰路で襲撃の嵐に見舞われる。ヴァンへ戻れた者はごく僅かだった。120名の少年たちのうちヴァンへ生還できたのはわずか22名であり、それ以外の者は道中で、あるいはヴァンへたどり着いたのちに息絶えたのだった。

映画では、はっきりと本来の話に進む前に、[舞台となっている]状勢やヒーローたちについて丹念に描き出しており、観る側はその後の展開に対して準備を整えるのである。ヴァンの戦争前の様子。120名の少年たちを象徴するような3人の少年たちの相互関係や心理状態、熱情。ダシュナク戦闘員の活動。状況の困難さを認識していたキャーミル・パシャが子供たちに射撃訓練を行わせつつ、必要となった場合の事態のあらゆる可能性に備えさせたこと。そして、もちろんホロッとさせるような恋愛譚・・・、スレイマン中尉は、中等学校[イダーディ]校長のジェマル・ホジャの娘と許婚の関係にあるのだが、前線から前線へと奔走するために結婚式の類はできないままである。バルカン戦争から復員後、結婚式の準備が始められたのだが、世界大戦が起こるとまたもや前線を駆け回ることとなり、弾薬を輸送する120名の少年たちが前線へと近づいた頃に襲撃してきたダシュナク戦闘員との戦闘の際に、殉死する。

物語は本当に印象深くて、それだけに、観ているときには[作品の中にある]幾つかの問題点は気にならないでしょう。

私はどうかといえば、かつてのヴァンの街の区画が[ヴァン]湖のほとりからひらけたていたことを示してもよかったはずだ。映画は、その大部分がサフランボルで撮影されたため、様々な事件がヴァンで起こったという感じがしてこない。より深刻なことには、ジェマル・ホジャ邸としてサフランボルにある修復済みの邸宅が[ロケ地に]選ばれたのは、私には正しい選択だとは思われなかった。外壁が黒ずみ、漆喰が剥げ落ちた邸宅や、木造の小屋などが選ばれていれば、オスマン帝国の先の世紀初頭の悲惨さを象徴的に語り描けたはずだ。120名の少年たちの苦難の旅も、十分に強調されていないように私には感じられた。事件の詳細がどれほど世に知られたことなのかは存じ上げないのだが、それでも、往路の段階でさえ、特に年少の少年たちの何人かが命を落とすことは十分にありえた話だろう。映画では、厳冬という状況下であり、ダシュナク戦闘員の襲撃もあったにもかかわらず、少年たちは全員が前線へたどり着いている。喪失はすべて、復路だ・・・。

そうは言ってみたものの、皆さんは話にぐっと引き込まれていて、このような問題点は気にならないでしょう。こういったジャンルの映画で、可能な限りの技術を最良の形で駆使しようとするなら、膨大な予算がかかってしまう。オズハン・エレンと彼の同僚たちは、厳しい条件下で、かつ、限られた予算のなかで最高の、そして印象深い映画を撮ることに成功したのだった。俳優たちもが、この話に感銘を受け、心を動かされながら演じていたことには誰もがすぐに気付く。エミン・オルジャイ、オズゲ・オズベルキ、ブラク・セルゲン、デミル・カラハン、アフメト・ウズ、ジャンセル・エルチン、そして何人もの子役たちは、誰もが熱意と確信を抱いて演じており、それぞれの役に説得力を持たせたのだった。彼らの成功と彼らが産み出した感情のほとばしりは、観るものに伝わっている。そして映画の技術的な問題点を見えないようにしているのである。

映画を観ているとき、これほどの悲劇的な物語が、どうして今日まで誰の関心も惹かなかったのだろうかと考えていた。もしかしたら、トルコの歴史には、真っ当に、率直に語られてこなかったがために忘れ去られてしまった無数のこのような話があるのかもしれない!『120』は、映画がとりわけ若者に歴史認識を喚起するためにどれほど大きな可能性を持っているかを人々に示したという意味でも、注目に値する作品である。

映画に関係するすべての方を祝福します。そして[世の]お母さん、お父さんに対して、私はこう申し上げましょう。『120』は、あなたがたのお子さんに是非とも観せてあげてください。

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:13334 )