Ismet Berkan コラム:解党は解決か?
2008年03月15日付 Radikal 紙

憲法裁判所は、まず福祉党(RP)を、のちに美徳党(FP)を解党させた際には、イスラーム風スカーフの解禁を単に主張することさえもを、「反世俗主義的行為」であるとし、両政党の解党要件のひとつだとみなしたのだった。とりわけ、美徳党[解党]訴訟の際にはイスラーム風スカーフの解禁を求め、[同党所属の]メルヴェ・カヴァクチュがイスラーム風スカーフを被って国会議員としての宣誓を行おうとしたことが、ほとんど唯一の解党要件だった。
しかし、これらは10年前の話だ。トルコはこれらを乗り越え、既にEUの扉に身を預けたのだと私たちは思っていたし、もはやこの国には民主主義が存在していて、最も重要なことには、もはやこの国では強制的な解党は非常に難しくなったものだとばかり思っていた。
何と私たちは思い違いをしていたことだろうか。最高裁判所検事長は、まず民主市民党(DTP)に対する解党訴訟を起こした。続いては圧倒的多数で政権の座にある公正発展党(AKP)に対してである。近々、民族主義者行動党(MHP)に対して訴訟が起こされたからといって、私が驚くことはないだろう。たとえそうでも、彼らもまた、イスラーム風スカーフの解禁[を指す]と考えられる憲法改正に署名し賛成票を投じたのだから。
憲法裁判所もが、検察の請求に沿った形で判決を下す場合には、きっと「反革命」のプロセスは向きが逆転してしまい、またも一党体制時代へと私たちは逆戻りしてしまうだろう!

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民主主義[体制]では、明確な形で暴力を呼びかけていなければ、あるいは暴力に訴えていなければ、政党は解党を強制されるべきではなく、「非合法」だと宣告されるべきではない。
そう私が言ったからといって、すぐさまドイツやイタリアやオーストリアの例を送ってきて、ファシストやコミュニスト政党の設立が禁止されていることを私に賢明にも思い出させようとする方々がいらっしゃるでしょう。それは存じております。しかし、これらの国々でそれ[禁止]が謳われた条項は特別な諸条件の、すなわち、第2次世界大戦という、6千万の人間の死という結果をもたらした特別な諸条件の所産なのだということは指摘しておく必要がある。スペインはといえば、まったく私が指摘する例そのものだ。バスク分離主義を掲げる「エリ・バタスナ」は、分離主義的であるからではなく、テロ組織「バスク祖国と自由」を称賛したから解党させられたのである。(非難しなかったから、ではなく、称賛したから、なのだ!:原注)

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トルコ共和国憲法によれば、「複数政党制は民主主義の放棄されることのない要素である。」
放棄されるはずはないのだが、その当の憲法を擁護することを職務とする憲法裁判所が、過去には、複数政党制をいとも簡単に放棄してきた。きっと、「民主主義」によって統治されると世界に公言している国々の中で、開かれる解党請求訴訟件数という観点でも、解党させられた政党数という観点でも、トルコはそのチャンピオンだろう。
そのことを考え合わせてみると、民主主義を我々ほど愛してやまない人々はいない!
しかし、物事の本質とはもちろんそういうものではない。民主主義[体制]が、イスラーム風スカーフ問題を文明的に議論したあげく、我々にとってその決定が気に食わないからといって、その決定を尊重しえないなら、また、民主主義[体制]が「こんなことを行おうとした」からといってある政党を解党させようとするなら、そういった体制は、それでもなお、民主主義[体制]だと言えるものだろうか?
[一般的に]民主主義[体制]において、不服な法や決定に対する審判は法廷ではなく有権者が下すものだ。何故なら、結局のところ、民主主義とは人民の主権に基づく体制の名前であって、そういった民主主義[体制]を縁取る憲法や諸々の法律は崇高なものなのである。神の啓示にではなく、人間に基づくものであり、変えることができるのだ!
そういった憲法を変えることができる唯一の意思はまさに人民の意思であり、法廷ではない。
現在の公正発展党が「反世俗主義的行為の震源」であるか否かについて憲法裁判所の11名のメンバーのうち少なくとも7名が賛成の決定を下すはずである。裁判所の圧倒的多数がアフメト・ネジュデト・セゼル前大統領によって任命されたメンバーであることは指摘しておいていいだろう。
いまひとつ指摘しておくことをお許しいただきたい。:21世紀に私たちは暮らしているのです。2008年ですよ。こんな[名ばかりの]民主主義はもうたくさんです。

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:13362 )