Ferai Tinc コラム:5周年を迎えた米のイラク占領
2008年03月21日付 Hurriyet 紙

イラクがアメリカによって占領されて丸5年が経った。共和党のマケイン大統領候補は、あと100年アメリカが地域に留まる可能性があると話した。

そもそも5周年と言い方もまた正しくない。アメリカは1990年からイラクと関わっている。

ソビエト連邦の崩壊後、中東の再構築は18年来続いている。

最初の戦争の前、アメリカの強大な力を信じる人々が鳴らした戦争のドラムの音を私たちは5年前にも耳にしていた。

アメリカは1つの枝先でサッダームの役目を終わらせ、1つの枝先で民主的なイラクを作り上げ、1つの枝先で中東をイラクを手始めに民主化させるつもりだった。

世界で唯一の超大国は全てに万能だった。

世界でそうであったように、トルコにおいても、羅針盤を権力に向けた人々の力を絶対視する予見は全て間違っていた。

トルコの民主化を公正発展党(AKP)に期待したにもかかわらず暗礁に乗り上げたように、イラクでアメリカが勝利するという主張も壁にぶち当たった。5年後に現れた光景を説明する必要があろうか?

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赤新月社国際評議会は、今週発行した15ページのレポートの中で、イラクにおいて人道上の悲劇そのものが起きていると発表した。何百万人の人々が清潔な飲料水を見つけられないことや、保健サービスの不十分さから、深刻な健康リスクに直面していることを明らかにした。

サッダーム時代には状況はましだっただろうか?いや、私が戦争の1年前にバグダッドを訪れた際にも、バグダッド市民はティグリス川の汚れた水を飲まざるを得なかった。彼らは今日もまた同じ汚れた水で水差しをいっぱいにしている。何が変わったというのか?

イラクはより一層住みずらい状況となった。赤新月社のレポートによると、「開戦後、国の大部分で人々が直面した状況を鑑みると、イラクは世界で最も危機的な地域の1つに含まれる」。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、昨年4万5千人のイラク人が亡命申請をしたと報告している。この数は2006年には2万2900人と発表されていた。

今もシリアやヨルダンのようなイラクの隣接国において何千人ものイラク人が、祖国の状況の改善を待ち、帰還する望みを持って生活している。イラク国内で住んでいる土地を追われた人々も数に含めると、占領のために4、500万人のイラク人が祖国や家から追われた。

占領は、過激な宗教主義的活動やテロ組織が国を手中に収める原因となった。もはやいかなる人も政治的等式の何らかの地点にその地位を占めている。

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イラクにおいて、アメリカの占領に機会あるごとに感謝しているのはイラクのクルド人だけだ。(それも)彼らの中でも政権に最も近い人々だ。
イラクのクルド人の生活に大きな変化があったと考えないで頂きたい。もしかしたら道路は少しよくなり、学校もより学校らしくなったかもしれないが、例えばキルクークを完全にクルド化するために連れ戻された何百人もの人々がどれだけひどい条件で生活することを余儀なくされているかを我々は知っている。他方で、誰もが地域政府の不正行為を耳にしていた。

アメリカのチェイニー副大統領がバグダッドののちに真っすぐ(北イラクの)アルビルを訪れた1つの理由が、クルド政府に与えた支持であるならば、別の理由はイラクのクルディスタン政府に支持を求めることだった。5年で未だに石油を分け合う確証を得られていないアメリカ政府は、石油法が一刻も早く施行されることを求めている。この法律を出せなかったために、バグダッド政府とバルザーニ政府の間にある不一致は解消されず、国際石油メジャーはイラクへの投資に関心を示していない。

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イラク占領の5年は見ての通りだ。イラクの次の5年は何を見せるのか?

5周年に声明を発表したアメリカのブッシュ大統領によると「アメリカ軍はイラクで(誰も)否定できない成功を収め」、この戦いは「勝利により終結する」という。未だに(この言葉を)信じている人はいるのだろうか?

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:13414 )