Turker Alkan コラム:正統性が崩れゆくとき
2008年03月23日付 Radikal 紙

スキャンダルの最もドラマチックな側面はきっとこういうことに違いない。すなわち、人は生涯にわたって、信頼感があって忍耐強く、良識を備えていて率直な人間だというイメージを作り出すことを目指すのである。そして、こういったイメージが覆るのには10分もあれば十分だ!

ニューヨーク州知事の状況を御覧なされ!

公正発展党(AKP)も、政権に就く以前は、自分たちのイメージに多大な配慮を示していた。設立直後、彼らは何度となくこう明言した。「今後『コーラン』を典拠として引用するのを我々が容認すことはありません」と。「我々は世俗派の申し子たる世俗派であり、我々以上の世俗派とは一体どなたのことでしょうか?」と頑なに主張していた。世俗主義を学ぶべくアメリカへ代表団さえ派遣したのだった。まして、私はこの言葉を鵜呑みにして、彼らを支持するような内容の論説さえひとつふたつ書いてしまったのだ。

公正発展党の第一次政権期は「信仰を隠している」との議論の中で過ぎて行った。彼らは世俗主義だと見せかけて、密かにイスラム主義を実践していたのだろうか?「隠れイスラム主義者」という主張を提起する見解は、最高裁判所検事長による起訴状のなかにもあった。

しかし、先の総選挙を経た公正発展党が、第二次政権期には「勝利に酔って」しまった様を我々は目の当たりにした。「我々は宗教的な典拠を[政治に]引用することはありません。お蔭様で[エルハムドゥリッラー]、我々は世俗派なのであります」と口にする人々が、広場で『コーラン』の章句を唱えだしたり、「イスラーム風スカーフについてはウラマー[宗教知識人]が判断を下すものだ」と言いはじめた。

このような方向で歩んでいけば、そのいずれもが、[公正発展党]体制の正統性に大打撃を与えるものであることを、そして、仮に体制が倒れてしまえば、彼ら自身がその瓦礫の下敷きになるであろうことを忘れたままで。

彼らの自分たちに対する信頼はとどまるところをしらない。憲法裁判所において起こされた[解党]訴訟を乗り切るために、彼らは憲法を改正しようとしている。公正発展党期に、個人[的利害]に従って法律が制定されてきたのを我々は目にしてきた。エルバカンが自宅で寝転びながら、彼がおこなった不正行為の罰則に服せるよう、彼らは法律を制定したのだった。83歳のイルハン・セルチュクが未明に捜索を受け、身柄を拘束するような者たちが政権の座にあった時代に、これ[エルバカン向け法制定]が起こったのだ。

目下、解党請求訴訟を混乱させるために、さて我々は憲法にいかなる条文を付け加えようか、と彼らは模索中だ。彼らは処方箋を見つけようとしている。

しかし、どんな処方箋を見つけるにしても、体制の正統性の土台から礎石をまた一個、取り除いてしまったことになるだろう。

そもそも、彼らにはそれが重要だとの認識そのものもない。彼らは司法に向かってほとんど公式に戦いをはじめた。彼らは「司法決定には従いませんよう」との声明を発表した。

国家とは、自らの尻尾を自らで呑み込みはじめるアナコンダ[アミメニシキヘビ]のようだ。

最新の打撃は、イルハン・セルチュク、ドーウ・ペリンチェキ、ケマル・アレムダルオールが未明に家宅捜索を受け、身柄を拘束されたことだった。未明の作戦によって12名の身柄が拘束された。

83歳のコラムニスト、ある党の党首、そして一教授である。どういったことで罪に問われたのかはいまだ明らかではない。しかし、泥棒やら、ごろつきらや、スリやらが通りを闊歩しているこの国で、文筆家や、政党党首や、学者がこのような形で逮捕されるということには、不適切な趣きがある。(彼らは、100周年大学学長[→ヴァン100周年大学学長ユジェル・アシュクン]にたいしても、同様のことを行ったのではなかったか?:原注)

しかし、ナチス・ドイツやソビエト・ロシアにおいて、そして9月12日[クーデター]の際のトルコにおいて見られた実施例と、未明に家宅捜索が行われ、書籍が証拠として袋いっぱいに詰め込まれて押収されたことから導き出されるであろう結論がある。つまり、公正発展党は解党訴訟のリターン・マッチを目論んでいるのだ。

国家の最大の防御盾である正統性の土台から幾つかの礎石をまたも取り除いてしまったらしい。彼らにはそれが重要だとの認識もない。

少なくとも、いまのところ、は。

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:13422 )