Can Dundar コラム:「開かずの扉」を開けるには―「お門違い」な非難を越えて
2008年03月24日付 Milliyet 紙

昨日の『ヴァキト』紙に掲載されたある記事。題名は「よくよくご存知あれ、二枚舌の者どもを!」。記事にいわく「2月28日過程において夜明け前に身柄を拘束された敬虔な人々に対しては眉ひとつ動かさなかった(・・・)カルテルを結成した論客たちは、イルハン・セルチュクが身柄を拘束されると、すぐさま抗議の立場をとり、完全なダブル・スタンダードであることを示した。」
記事の下段には「カルテルを結成した論客たち」のうち8名の名前が載っていた。
そのうちのひとりは、私だ・・・。
これらコラムニストが何をしたというのだろう?
第1面から示されている罪状によれば「メルヴェ(カヴァクチュ)邸のドアがけり破られた時に彼ら[私を含む8名]は拍手喝采した」という。

***

読んでみて、私は自分がやったことに恥ずかしさをおぼえている。
当時、国会議員であったメルヴェ・カヴァクチュが未明に拘束されたことに、私が拍手を送ってしまったのだとしたら、今になって、どういう面を下げてイルハン・セルチュク拘束のやり口を批判できるというのか?
我ながら、本当にやってしまったのだろうか?
大新聞がウソを書くはずもあるまいし・・・。
心配になったので、私の個人サイト(candundar.com.tr)へアクセスしている。
カヴァクチュ邸は1999年10月19日に捜索を受けたのだった。
さて、その翌日(1999年10月20日)に掲載された私のコラムから数行を再掲載する。

***

「ただひとつのモノを我々は探し求めている。とてもシンプルなあるモノ。
それはルール・・・。
民主主義が、いくつものルールに基づいた一種の体制であることを我々は知っている。
ルールは、明瞭簡潔なものであるよう、そして、誰に対しても平等に適用されるものであるよう、我々は望む。[中略]もしも、国会にイスラーム風スカーフを着用して登院することをはばかるルールがあるのなら、そのルールを公に提示し、断固適用されるよう、また、もしも、そのようなルールがないのであれば、さも以前からあったかのように禁令を編み出すことがないよう、我々は望む。夜中にまるで盗賊団のようにどこそこの玄関にもたれかかって押し入ろうとしないよう、ルールをないがしろにする者があれば、「人道的な形で」呼んで証言を得るよう、我々は望むのだ。
目の前にいる地下組織のボスが、何ヶ月も、警察のトップの証言のための召喚に応じる可能性がないからといって、国民の投票によって選出された誰かの家のドアを破ろうとするのは、「身の毛もよだつ」話だと我々は思うのだ。
つまり、我々は、夜中に誰が、どういった条件の下で我々の家のドアをノックすることになるのか、はっきりしていて欲しいのである。[中略]
我々は、バナナ共和国諸国のように、怖いものなしの検事たちに対して我々の家の門のところに国会議員でできたバリケードを作りたくはないのだ。
つまり、我々は、法を探し求めているのだ・・・。」

***

そう、ひどい日々だった。
カヴァクチュに対するリンチ・キャンペーンが起こっていた。「「対立陣営所属の」失態を犯した国会議員を擁護するのは私たちの仕事ではない」と言う人々が多かった。
しかし、本来はあのような条件下でこそ「ルール」を遵守するべきだったのだ。
私はそうした。
当時、私はまさに多くのご批判を頂戴した。
しかし、今となってみると、あのコラムは、表情も心持ちも、堂々と臆することなく、私には同じ文章をイルハン・セルチュクに対しての「身の毛もよだつ」行為のために書くチャンスがあり、そして私には、我々を指して「二枚舌」と公言する人々に向かって、「お門違いだ」と言う権利があることを、語ってくれている、
『ワクト』紙は、昨日のコラムニストたちの文章を読んでみていただきたい。そして、イフサン・セルチュクに関する上述と同様の文章がひとつでもあれば、その時は我々に弁明なさいますように。

***

いまひとつ注記を。
カヴァクチュ邸を家宅捜索したとして我々が批判していた対象は、国家公安裁判所のヌフ・メテ・ユクセル検事であった。
家宅捜索から3年後、彼は罠にはめられた。私生活にまつわるテープが市場に流出したのだ。イスラム主義系の新聞は「おぉ、それみたことか!」と彼に罪をなすりつけた。
その時も、私は、「恥ずかしい話だ。この件にダブル・スタンダードなど、入り込む余地はない」と書き、ユクセルのプライバシーの権利を擁護したのだった。(参照:2002年12月12日付拙稿)

***

どのような条件にも、どのような人にも妥当する法・・・。
もしも我々が、いかなるダブル・スタンダードも弄することなく、そんな公倍分母で一致することができたなら、ほの暗がりで誰かが我々の家のドアをノックするなどということがありえなくなるのは、よりたやすいだろうに。
しかし、我々が「自分たちの側にいる者」の身に起こったことを憂い、「あちら側の人々」をせせら笑っているばかりなら、しまいには、我々の[相互理解の]扉は閉じたっきりになってしまうだろう。

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本コラムに引用された1999年10月20日付けCan Dundarコラム原文(トルコ語)

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:13437 )