Ismet Berkan コラム:エルゲネコン8年史 (1)
2008年04月04日付 Radikal 紙

イスタンブル共和国検察局は、私の理解する限り、共和国史上最も重要な捜査の1つを行っている。これまでにこの捜査の一環で47人が逮捕され、様々な拘置所に収容された。検事が起訴状を準備し裁判を提起することが待たれている。
私は以前にもエルゲネコンの話を何度も書き、「大」「小」のエルゲネコンについて話をした。同じ話を繰り返すのを承知で、そもそも読者の皆さんもご存知であろういくつかの点について改めて取り上げたいと思う。
エルゲネコンと呼ばれる組織化の起源をかなり昔に求める人々がいる。もしかしたら彼らは正しいのかもしれないし、正しくないのかもしれないが、私の考えでは今我々が話をしている意味でのエルゲネコンが始まったのは2001年の秋だ。
その当時、我が国は経済危機に陥っており、ビュレント・エジェヴィト首相は高齢であること、それに時折言葉を取り違えることで批判されていた。ある退役軍人の一団に加え、8月30日に退役したばかりの上級軍人が、まずイスタンブルの実業界と接触した。彼らが提案したことは次のことだった:「ビュレント・エジェヴィトを年齢と健康状態を理由に退陣させ、副首相のヒュサーメッティン・オズカンに首相の座を明け渡してほしい」。
実業界の代理人たちはこの提案をビュレント・エジェヴィトではなく、ヒュサーメッティン・オズカンに伝えた。オズカンは「この提案を聞かなかったことにしよう」と言い、出来事を封印した。
退役司令官たちは、これを受けてヒュサーメッティン・オズカンと直接接触した。ボドルムにある将校クラブで行われた話し合いには、今でも現役の高位の軍人たちも同席し、提案が再度伝えられた。オズカンはそれでも「私はこの提案を聞かなかったことにしよう。このような提案をエジェヴィトさんに伝えることはできないし、彼が提案しない限り私も認めることはできない」と言った。
これに対して軍人たちは、大統領府で開かれたあるレセプションの席上、本紙のアンカラ特派員であるムラト・イェトキンに一連の接触の内容を詳しく説明した。
次の朝、ムラトが話の内容を私に伝えると、私は「2つの情報源からニュースの確証を得る」という原則に従って、ムラトにヒュサーメッティン・オズカンにこのことを尋ねるよう伝えた。ムラトは、オズカンのもとに赴き、情報が正しいことを確認、それに留まらずオズカンはムラトをエジェヴィト首相のもとに連れて行き、エジェヴィトも軍人たちのこうした動きと提案をこのような形でムラトから知ることとなった。
当時の参謀総長であるヒュセイン・クヴルクオールが知らなかった可能性はほとんど無きに等しいこの企ては、私から見れば最初の「クーデター」計画であった。
この事件はエジェヴィトが退陣する代わりに首相職にさらに留まり、最終的にはヒュサーメッティン・オズカンが90人ほどの国会議員を引き連れて党(民主左派党(DSP))を去るきっかけとなった。つまりエジェヴィトとヒュサーメッティン・オズカンの間にあった絶対的な信頼関係はそこで終わった。
その後、つまりオズカンが去ってシュクリュ・スィナ・ギュレルがエジェヴィトの右腕となってから、2002年7月にエジェヴィト首相はクヴクルオール参謀総長に対し、「アメリカは今後イラクで戦争をするつもりだ。重要な事態が起こるだろう。あなたの参謀総長職の任期を延長しよう」という提案を行った。
クヴルクオールは、任期の延長が法律(の裏付け)を必要とすることや、政府にこのような法律を出す力はないことを知っていたため、提案を丁重に断った。そもそもアフメト・ネジュデト・セゼル大統領もこの提案を好意的には見ていなかった。
実現はしなかったが、クヴルクオールは軍の次期首脳人事を自分自身で決めたいとし、エジェヴィト首相とセゼル大統領に対し、当時陸軍総司令官として参謀総長のポストに就く準備をしていたヒルミ・オズキョクについて「彼を参謀総長にしないで欲しい」と伝えていた。その理由を問われると「反動に対して弱腰である」という理由を挙げていた。
セゼル大統領はこの提案を受け入れず、オズキョクの参謀総長就任が確定した。
しかしクヴルクオールは、誰にも相談せず、承認も求めずに自身の法的権限を行使し、空席となった陸軍総司令官職へ慣例から見て就任するはずのエディプ・バシェル第1軍司令官ではなく、退役の準備をしており、その上部屋を片付けて宿舎を明け渡していた軍警察(ジャンダルマ)総司令官のアイタチ・ヤルマンを、また軍警察の総司令官にはシェネル・エルイグルを提案した。
政府は、この出来事をかなり不快に思ったが、一連の退役危機を避けるため、任官状に最後の最後で署名した。大統領も署名を最後まで引き延ばした。
第2のクーデターはこれである。
続いて3番目、4番目、5番目、6番目、そして最後のクーデターの企てがあるが、今日のところは紙幅が尽きたので、明日また続けよう。

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:13522 )