イスラーム風スカーフは、宗教的行為のシンボル
2008年04月11日付 Radikal 紙

昨日(10 日)、マルマラ大学法学部とパリ・デカルト大学法学部が共同で開催した「世俗主義シンポジウム」で、トルコにとって最も重要な関心事の一つである「世俗主義・法律・政治」が話し合われた。

■憲法裁判所のオスマン・パクスュト長官の発言

ここ最近、憲法と世俗主義は激しく議論されています。議論をすれば衝突が生じるものですが、これを避け、批判的な態度も控えるようにしなければなりません。作家や思想家の中には、世俗主義が共和国建国時に国民によって獲得された原則ではなく、国民に押し付けられたものだと主張する人もいます。世俗主義は、共和国建国時に存在せず、その後もたらされ(共和国の)内実を満たした概念ではなく、国民の意思によって目標とされ、社会が獲得した概念なのです。

■高等裁判所第7支部トゥルグト・ジャンダン長官の発言

世俗主義を謳う法治国家は、宗教的かつ時には政治的にもなりうるシンボルを身に付けなくてもいいと信じている個人が、この種の圧力から守られるよう、安定した対策を打っていかなければなりません。行政裁判所は、トルコ国民の伝統と、その伝統が産み出したスカーフ着用の形を議論しており、現在普及しているスタイルのスカーフを近代的なかぶり物、衣服として見なしていません。行政裁判所は、スカーフを、宗教を個人の心の領域から引き出して、社会に強制することをイデオロギーとする、宗教的意味合いを持った運動のシンボルとして見ています。

■パリ・デカルト大学 ジーン・ピエレ・マシュロン法学部長の発言 

フランスでは3名の女子学生が高校でスカーフを外すことを拒否しました。議会は1999年、人の目に触れないという条件の下、宗教的シンボルを身につけてもよいとの決定を下し、大問題となりました。病院でも難しい状況が起こりました。2004年、別の法律でこうした宗教的シンボルは高校で禁止されました。世俗主義的な施策をしっかりと行うことに関しては様々な例を見ることができます。世俗主義については2つの選択肢があります。公的領域での中立、つまり国家が介入しないという方法でしょうか?もしくは、前向きな世俗主義と呼ばれる、差異や宗教の社会的広がりを受容する方法でしょうか?EUで言えば、後者が選択されることの方が多いようです。

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( 翻訳者:倉本 さをり )
( 記事ID:13556 )