国辱もの―イタリア人芸術家の平和のための活動、トルコでの暴行殺人で幕
2008年04月13日付 Radikal 紙

ピッパ・バッカさん(写真左)と友人のスィルヴィア・モロさんはイスタンブルで別れた。

 芸術界では「ピッパ・バッカ」として知られるイタリア人ジュゼッピーナ・パスカリノ・ディ・マリネオさんは、3月8日のミラノ出発時には白い花嫁衣裳を着用し、横には友人である芸術家スィルヴィア・モロさんの姿があった。彼女の目的は「世界平和へ芸術的な活動により貢献すること」であった。トルコも含む国々をヒッチハイクで移動し、パレスチナへの到着を目標とする一方、単純に「人々が信用に足りるということを証明」しようと努めていた。その旅路は、トルコで途絶えることとなった。3月31日以降行方不明となった33歳の「イタリアの花嫁」は、コジャエリ県ゲブゼ郡で遺体として発見された。この殺人の容疑者ムラト・カラタシュは、若い女性に暴行を加え殺害したと話した。

■携帯電話によって
 トルコを恥じ入らせてしまった殺人は、容疑者が、殺害した女性の携帯電話を使用していたことから明らかになった。窃盗の前科を持ち、2人の子どもの父親である容疑者は、殺害後バッカさんの所持していた携帯電話に自身のSIMカードを挿入し使用していた。この間警察はイタリア人芸術家の携帯電話をIMEIコードによって追跡していた。テキルダー県あたりにいると判明した容疑者は、この地域で行われた捜査によって、小型トラックの中にいるところを逮捕された。警察が明らかにした情報によるとカラタシュ容疑者は、尋問において、3月31日花嫁姿でヒッチハイクを行っていたピッパ・バッカさんを見つけると小型トラックを停め彼女を乗せ、その後国道100号線から県道へ入ったと述べ、彼女に暴行を加えた後殺害したと述べたとのことだ。

■3月31日に殺害した模様
 以前から無許可で埋蔵物を探していたためよく訪れていたことから、タヴシャンル村とその周辺の地理に非常に明るいと話す容疑者は、遺体をバルックカヤラル峡谷で、誰にも見つかることのない雑木林に投げ捨てたと述べた。深夜に行われた現場検証では捜索隊が、森の中の雑木林の中でイタリア人芸術家の全裸になった遺体を発見した。検死の結果、バッカさんは、最後に連絡のあった3月31日に殺害されたことが判明した。
 尋問後、第一簡易刑事裁判所へと搬送されたカラタシュ容疑者は、「婦女暴行」、「強盗」、「証拠隠滅」、「逃亡目的の意図的な殺人」の罪で拘留され、さらにその後ゲブゼ刑務所へと搬送された。
 トルコに滞在している、この芸術家の妹アントニエッタ・ジュゼッピーナさん、そして婚約者のジョヴァンニ・キアーリさんは、領事館職員とともにゲブゼ郡に入り遺体の確認を行った。
 バッカさんの妹は、イタリアの通信社ANSAに対しイスタンブルから声明を発し、「皆様にお礼を申し上げたいと思っています。在トルコ・イタリア大使館、領事館、トルコ警察には、支援に非常に感謝しています。そして絶望的な状況の中姉を捜索していた際に、私たちの心情を理解し思いやりを示してくださったトルコの全ての方々にも感謝しています」と述べた。
 12日にイタリアへ帰国したバッカさんの婚約者であるジョヴァンニ・キアーリさんは、「我々は、事件を聞いて崩れ落ちました。彼女が生存していると信じ、一縷の望みにかけていました」と話した。
 バッカさんと共に3月8日にイタリアを出発した友人の芸術家スィルヴィア・モロさんも事件後に、帰国を決断した。

■トルコから哀悼のメッセージ
 バッカさん、モロさんのプロジェクトを閲覧することのできる「花嫁らは旅路に」と名づけられたインターネット・サイトにも、哀悼のメッセージが届いた。芸術家が遺体として発見されたという情報を哀悼の意とともに述べたトルコ人のサイト閲覧者に対しては、ルチアーノという名のイタリア人が「一人の人間が行ったことによって、あなたやあなたの国の人々が恥じ入る必要はありません」というメッセージで返答を行った。

■「大胆な旅」と話していた
 バッカさんは、友人の芸術家モロさんと共に2008年3月8日にミラノを出発した。二人の女性は白い花嫁衣裳を着用し、平和のメッセージを発信するという目的でバルカン半島、地中海、そして中東の国々を訪れる予定であった。バルカン諸国、そしてトルコにおいては国道でヒッチハイクを行いパレスチナに到達するはずだった。バッカさんは出発時に「私たちの夢は、ヒッチハイクで近年戦争に見舞われた、そして未だに完全には静まっていない国々に旅をすることです。二着の美しいウェディングドレスと共に、大胆な旅になるだろうとは分かっています。ですが私たちの夢はこれなのです。」

■ベイルートで再会予定だった
 二人の芸術家はトルコの前にスロベニア、クロアチア、ボスニア、セルビア、そしてブルガリアを「無事に」通過していた。3月19日にイスタンブルで別れた二人は、別々の道を通過しベイルートで再会する予定だった。しかしバッカさんがイタリアの友人にメッセージを送った3月31日以降連絡が途絶えていた。最後の日、バッカさんはクレジットカードで買い物を行ったことが明らかとなった。

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( 翻訳者:岩根匡宏 )
( 記事ID:13571 )