Ismet Berkan コラム:エルゲネコン8年史 (5)
2008年04月09日付 Radikal 紙

去年の今頃を思い出して頂きたい... まずジュムフリイェト紙の(社屋の)庭に爆弾が投げ込まれ、それが不発に終わると数日後にまた投げ込まれた。その後行政裁判所襲撃事件が起こった。何十万人もの人々が(犠牲者の)葬儀を政府への抗議デモと世俗主義ミーティングへと変え、首相は野次を飛ばされ、法務大臣はモスクの中庭で襲撃に遭い、司令官たちは大きな拍手を受けた...
しばらくの間の議論の争点から外れていたように見える世俗主義問題は突如最大の議論の的となり、誰もが4月中頃に始まる大統領選挙のプロセスに注目し、レジェプ・タイイプ・エルドアン首相は自分が候補となるかならないかを常にあいまいにしたまま、彼の言葉では世論と「棒打ち遊び」をし始めた。
今書いているときに思ったが、まるでこれら全ての出来事が遠い昔に起こったことのようだ。いやしかし、去年起こったばかりのことなのだ!

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行政裁判所襲撃事件の直後、副首相の立場として当時のアブドゥッラー・ギュル外相は警察庁と国家諜報機構に状況説明を求めた。2つの組織とも、襲撃犯と彼の周囲の人物に関して自分たちの情報データベースにあるものをギュルに示して見せた。警察の行った説明には相関図もあったに違いない。この相関図には、行政裁判所襲撃犯を含む、今日身柄を拘束されて拘置所に収容されているエルゲネコンの全ての容疑者が載っていたはずだ。相関図には彼らだけでなく、それ以外の人物の名前もあり、ヴェリ・キュチュクを除く他の退役軍人たちの名前もある。
しかし、警察は初めは行政裁判所襲撃事件と、それからずっと後にイスタンブルで開始されることになるエルゲネコン捜査とを具体的に関連付けることができず、(行政裁判所襲撃事件捜査の)初日にアブドゥッラー・ギュルへ提出した情報上の関連(図)を検事に提供することや、確証付けさせることができなかった。(実際、いまだ公式には事実と認められていない説によると、行政裁判所襲撃事件の受刑者の1人は、イスタンブルでのエルゲネコンの担当検事に行政裁判所襲撃とエルゲネコンの間にある直接の関連に関する重要な証言をした。つまり、これもまたある人物の言葉だが、もし(両者が)関連づけられたとしたら新たに関連づけられたのだ)。

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行政裁判所(事件の犠牲者)の葬儀ののち、衆目は4月14日にアンカラで開かれることになっていた「共和国ミーティング」へと向けられていた。ミーティングはアタテュルク主義思想協会が旗振り役を務め、どのように形成されたかを私が昨日のこのコラムで説明することに努めたいくつかの「文民」組織が開催した。アタテュルク主義思想協会のトップには、元海軍総司令官のオズデン・オルネッキ退役海軍大将のものと言われている日記の中でその名前が「クーデターのリーダー」として登場する元軍警察総司令官のシェネル・エルイグルの姿があった。
一説によると、2004年の(実行の)ために計画されたコードネーム「サルクズ」のクーデター計画が不成功に終わったことを受けて立てられ、「アイウシュウ-ヤカモズ」というコードネームを与えられた、「メディアや政府に対する圧力を喚起するような大衆的支援を市民組織が獲得する」という道を通じてAKP政権の転覆を目指す計画が1人の軍司令官の作戦本部で準備されていた。そしてやはり一説によると、これらの計画は基本的にエルイグルが退役した2004年以後の時期を含んでいた。これらのこと全てを知る者にとって、何十万人もの人々が結集した共和国ミーティングは余計に疑わしい集団行動であった。ミーティングの参加者は極めて純粋であり、自らの心配を取り除くため、また政府に抗議する権利を行使するためなどに、旗を手に取り広場へ出向いていた。そもそも行政裁判所襲撃事件は、彼らにとっては世俗主義が危機に瀕している証拠であった。
しかし、ミーティングでの演説はこの純粋な感情のはるか向こう側を通過し、ずっと狭くマージナルな目標へと向けられていた;政府は「非国民」であり、トルコをアメリカやEUへ「売り飛ばして」おり、メディアも「売られ」、真実を伝えておらず、政府に追随してばかりいる、と。
アンカラでのミーティングはイスタンブルやイズミルでも繰り返され、どの演壇からもこのメッセージが流された。
つまり政府とその支持者たちは祖国の裏切り者だったのだ!

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CHPとMHPは組織としては関わらなかったが、特にCHP党員が数多く参加したこれらのミーティングの最大の目的は、以前に個別の会談では「味方」に付けられなかったメディアに対して「市井の圧力」を作り出すことであり、少なくともこの点においては成功が収められた。
しかし間違った時に起こされた「クーデター」は、これらのミーティングによって作り出された雰囲気を一瞬にして無にすることとなった。
かくしてこの第5のクーデターを明日ご説明しよう。

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:13605 )