Ismet Berkan コラム:エルゲネコン8年史 (7)
2008年04月11日付 Radikal 紙

公正発展党(AKP)政権を気に入らないことや、その政権が去って代わりに自分の気に入るような政権、あるいは自分の支持政党がその座に就くのを求めることは、道義に反することでも、禁じられたことでもない。それどころか、野党が存在することは、多数決に基づく民主主義の必要条件である。
しかし我々は何日にもわたってこのコラムで、そうした合法的、民主的な野党ではなく、それとは正反対に国家の資源や完全に異なる目的にあてがわれた公的資金、また国家の計画能力を利用しながら、密室の奥で秘密裏に反民主的な方法で、その上「どんな犠牲を払ってでも」と言いながら、必要とあれば血を流してまでも政権の転覆を目指す「徒党」や一種の地下組織について言及した。
野党というものは、政権の何らかの態度、あるいは総体としてその存在すべてを「国益に反する」とみなすかもしれないし、こうしたプロパガンダを流すかもしれないし、この見解に沿った形で世論を形成しようと努めるかもしれない。
しかし、同じ事を国家公務員として給与を得ている何人かの役人がし始めたとき、自分たちの考えが支配権を握るために国家予算から金を使い始めればなおさら、物事は変わってくる。
民主的な国には、政府を下野させたり、政権を変えるための合法的な方法があるはずだ。クーデターを準備したり、クーデターのための足場固めをするために扇動的な活動を行うことは、こうした合法的な道の1つではないし、そうなり得るはずもないし、またなってはならないはずである。
政治的野党と「エルゲネコン」の間にある根本的な違いはこの点である。
言葉を長々と重ねる必要もなく、AKP政権はトルコで「国家権力」と呼ばれている権力を根底から揺るがした。そして(自らが)この「国家権力」の代理人であると信じる一部の役人は、政治綱領を国民に説明したうえで民主的に選ばれた(AKP)政府の、EU改革をはじめとする政策を「非国民的」とみなし、これらの実現を阻止するためにできることは何でもした。
そもそもこうした理由から、万事の始まりにはキプロス政策があった。こうした理由から、エルゲネコンを構成したり、あるいはその思想的な傘の下に入っている奇妙な取り合わせのグループをひとまとめにする主要な点はEUに反対することだった。もう1つの共通点は「どんな犠牲を払ってでも」AKPから解放されたいと望んでいることであった。
物事に「どんな犠牲を払ってでも」というような言葉が入ってくると、当然ながら成されることには民主主義の「み」の字ほどの関係もなくなり始める。軍事クーデター計画を準備し、右に左に爆弾を投げ、高等司法機関を武器を用いて襲撃し、殺人を計画するということなどと民主主義との間でそもそもどのような折り合いをつけることができようか?
目的が「AKPから解放されること」になると、利用される全ての手段もまた本来の意味や位置付けを失い始める。
法を一例に取ってほしい。
大統領選挙の時期に367というもの(※大統領選挙が有効だとみなされるためのトルコ大国民議会の定足数)が発明された。
何というか、大統領を選ぶためには「合意」が必要らしい。だがしかしこのような要件があるなら憲法(裁判所)は2巡目の投票後、定足数を276に引き下げなかっただろう。
いや、目的が「AKPから解放されること」となり、目がこの目的に集中すると、突如法と憲法裁判所は道具と化し、結果として参謀本部の「この選挙を無効としなければクーデターを起こそう」と読まれるべき通達の生み出した圧力のかかった状態により憲法裁判所は選挙を無効とし、トルコでは議会に対して法のクーデターが行われた。
これもまた2001年以来我々の経験した、第6のクーデターであった。
今、当座に問われていることは次のことだ;AKPについて起こされた解党訴訟は第7のクーデターに転化するだろうか?憲法裁判所は、(定足数)367判決で見られたように、法を道具にしたがる人々に味方する立場を取るのだろうか、それとも法的な道を通じてのみ(今後)我が国は自由で民主的な国となるのだという自覚を持って行動するのだろうか?
大半の専門家は、つい最近367のような判断を下した憲法裁判所は今回も(そのときと)同じように行動し、民主主義や自由主義とは逆の立場の、「どんな犠牲を払ってでもAKPから解放される必要がある」と主張する人々の見地に立って判断を示すだろうと見ている。
もし憲法裁判所がそのような判決を下し、AKPを解党させるなら、過去に起きたどの1つのクーデターとも全く異なるクーデターとなるに違いない。なぜなら今回、クーデターは法的な手段によって行われたことになり、法が自由化ではなく、自由を制限する1つの道具になってしまうことになるからだ。
確かに5月27日も、3月12日も、9月12日も、2月28日も、トルコの民主主義に害悪を与えた。しかし今回生じるであろう害悪を過去のクーデターと比較することは不可能なはずだ。なぜなら過去のクーデターのいずれをとっても、その後一定の期間の中である種の民主主義が回復されたからだ。にもかかわらず今回は、西洋的な意味での民主主義はいつまで経ってもやって来ないかもしれないし、あるいはこのために我が国がとても大きな代償を支払わなければならなくなるかもしれない。
予想される最後のクーデターの危険な点はこれである。

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:13627 )